7月

2021.7.11日

20年

今日で、フリーランスになって20年だ。
ずいぶん長い、とはあまり思えず、美篶堂の親方上島松男さんに以前うかがった、製本職人は20年続けてやっと一人前、という言葉を思い出している。

それでも、うれしいはうれしい。
いつも感じることだけれど、これまでやってきた道のりを振り返ったら、二度はできないだろうな、というような幸運の連続ばかりだった気がしてしまう。幸運というのは、この危なっかしい綱渡りで、あ〜……と落っこちてしまいそうになったとき、ぐらぐらっと体勢を崩しながらもなんとか綱の上にあり続けることができた、という意味で。そしてその幸運の多くは、人に助けられたことだった。

このホムペに日々の記を書くのも、見たら去年の10月以来だったから、またずいぶんと日があいてしまった……。ちょうど11月からLe phare poetiqueのホームページ をはじめたので、そちらに取り掛かっていた(言い訳)。去年の終盤から今年前半にかけても、たくさんのたくさんのことがあったけれど、いちばん大きな変化は、ひっこしたことかもしれない。いま山陰なんです。

六番目の詩集『三十三センチの時間』ができたこと、初めての詩画集『いまきみがきみであることを』を作れたこと、このふたつのこともとても大きい。ぼくにとって、この二冊を近い時期に上梓できたのは、それぞれに作ろうとする動機やきっかけやエネルギーや物事の進み方などがあって、同時期をめざしたわけではなかったけれど、それでも(もしそうなったらいいな)とは思っていた。本のことはまたいずれ。

この20年を振り返って、節目になった仕事は何だったろう、と考えてみた。

2002年1月に、このホームページ を作って、詩を発表しはじめたこと
2004年6月に、第一詩集『心を縫う』を上梓したこと
2012年2月に刊行した『日本の七十二候を楽しむ ─旧暦のある暮らし─』がベストセラーになったこと

この3つの仕事が、その後のぼくの人生を大きく変えたと言っていいんじゃないか。

最初の十年は、東京でコピーライターをしていた。次の十年は、沖縄で執筆をしてきた。ちょうど二十年の区切り目になるところで、鳥取に来た。だからまた新しい旅が始められたらいいな、と思う。べつに狙って十年ごとに一区切りにしているわけじゃないけれど、偶然にせよ、キリがいいので、そうした奇遇をきっかけにするぐらいならいいんじゃないかと思っている。

沖縄から離れることになったのは、思いがけないトラブルに背中を押されて、ということもあった(部屋の立ち退きに遭ったので)。何の因果かとふしぎな気もする。こころのいくばくかは、島に置いてある。そのつもりでいる。その上で、十年ぶりに春夏秋冬の移り変わる気候風土のなかで生活していて、これは楽しい。

詩があったからこそ、やってこれたんだ。

このホームページが、全てのはじまりだった。

また新しい旅に出よう。

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