10月

2020.10.11日

詩集

詩集を作っています。5年ぶり、6番めの詩集を。

今月末にできあがって、来月リリース、をめざします。

いままででいちばん小さな、いちばん薄い、いちばん少部数になる。
行きがかり上、そうなってしまった。
でも、それでも、これが、この五年間のじぶんのぜんぶそっくりすべて、と言える。

乞うご期待

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9月

2020.9.13日

近況

季節がひとつ飛んで、気がつけばもう秋ですね。

じぶんは何を大事にできるだろう、何かを大事にするためにはどうしたらいいのか、どれだけ知っているだろう、と最近あらためて思います。その都度その都度、心を込めて、言葉というものをていねいに使う、ということが思い浮かびます。そんな月並に聞こえるかもしれないことが、でも、いまやはり肝心かなめなものに思えています。

お知らせしたいことがいくつか控えていますが、またおいおいお知らせさせてください。

じぶんを信じて進むほかに、道を歩く術はないし、わずか先さえ見えない薄闇のなかを歩いてきたようなこれまでなのだから、これからもまた、そうしていこう。

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6月

2020.6.8月

マック

新しいマックが一昨日、6日の土曜日に届いた。MacBook Proの13インチ。
それまで使ってきたMacBook Airがさすがに8年間使い込んできて、メイン機としてはいろいろと厳しくなっていたので。でも本当は、壊れたわけでもないのに、いままで愛用してきた道具を控えに回すのがさみしい気もしている。
とはいえ、その前のマックはハードディスクがクラッシュして急遽買い換えた経緯があったので(あれは悲しかった…レスキューサポートセンターに持ち込んで、なんとかデータだけは救出できたけれど)、なので今回は、マックが完全に壊れてしまう前に代交代することを考えていた。

本当は、遅くとも去年のいまごろにはそうしていたかった。
でもそれができなかったのは、MacBookのキーボードのリコール問題があったから。バタフライ式という薄くてキビキビしたキータッチのキーボードをMacBookシリーズは搭載していたのだけれど、その薄型キーボードには故障しやすいという欠点があった。キーボードは執筆でいちばん重要なところなので、妥協はできない。すでに去年から新型キーボードが出てくる話は聞いていたので、それを待っていた。
結局ここまで引っ張ることになってしまったけれど、がんばって働いてくれたAirのおかげで、ぶじバトンタッチができそうだ。

今回はスペースグレイという色のボディにした。このところ3代続けてシルバー系のノート型Macを使ってきたので、グレー系は久しぶり。昔(90年代)のパワーブックはグレー系だったから、20年ぶりぐらいで元に戻った感もある。まだ慣れないけれど。
この新しいマックも、またがしがし使い込んでいきたい。データ移行などは少しずつ進めているけれど、まだ当分はかかりそう。
そしてAirも、データを移したら中身を軽くしてあげて、詩を書いたり、文章を書いたり、そういう軽い負荷しかかからない作業を中心に、これからも使い続けたい。

あくまで個人的な印象なのだけど、ノート型のMacには大きく2つのタイプがあると思っている。オールインワン型と軽量型。
MacBook Airは2008年に出た初代モデルを使っていたけれど、典型的な軽量型だと思う。元祖はパワーブック100で、Duoに継承され、2400が出たり、G4の小さいのが出たり。機能を限定して軽量化ないしはモバイル用に作られたノート型マックという印象。最近ではMacBookもそう。

オールインワンは昔ならドライブが付いていて、拡張性が高くて、画面が大きいものが典型だと思う。いまならMacBook Proの16インチこそまさにだけれど、この13インチも方向としては同じ路線じゃないか。16インチもよかったのだけど、さすがに出張に重いのと、動画編集用のフルパワーまでは使いこなせないのとで、見送った。かっこよかったんだけど、13インチでちゃんと出張にも持っていけるのを選んでよかった気がしている。
好みとしては軽量型で、でも仕事としてはオールインワン型を今回は選んだ。iPad miniが手許にあったから、軽量型に求める最低限のことはiPadでしよう、と思えたこともひとつあるかもしれない。

ひさしぶりの日々の記なのに、長々とマックオタクな話ばかりしているけれど、マックが大好きなので、要を得ない話を長々と書いてしまう。新しいものを使ってみて、11インチのAirも本当によくできたノートパソコンだったんだな、とあらためて感じる。造りがいい。キーボードのサイズやキータッチがちゃんとしている。細かな部分に造りのよさがにじみ出ている(これは初代Airはもっとそうだ)。文章を書く見地からは、必要なところにすみずみまで配慮が行き届いている。

まだ新しいマックは使いはじめて2日しか経っていないから、わかることは多くないけれど、スピーカーがいい。音楽を聴いていて、気持ちいい。そして安定感がある(新しいOSをきびきびと動かせるパワーがある)。iPadと連携がとれて使いやすい。などは気づいた。

機械についてはこのくらいで。思い出話を。
このホームページ無名小説は、2002年の1月20日の夜から21日の未明にかけてHTMLを書いてアップしてはじめた。そのときにはフリーランス1年目で、実家に厄介になっていた。使っていたのはパワーブック520。たしか520でアップしたんだったと思う。他に持ってなかったから。実家にブルーのiBookがあったから 時々それで色の確認はした気がする。520はモノクロモニターだった。

それからパワーブックG4のチタンになった。このホムペをもっともがしがし更新していた頃使っていたのが、G4だ。実家から神楽坂の事務所に移って、30代のいちばん忙しい頃だった。G4はとても働き者で、つい数年前まで動いてくれていた。さすがにもう動かなくなってしまったけれど、たしか4年くらい前まで、G4で歌こころカレンダーを作っていた。
コピーライター時代の最繁忙期をともにしてくれた、文字どおり血と汗と涙が染み付いたパソコンなので、思い出深い。いや、どれも思い出深いのだけど。

ここ最近は、2台続けて軽量型のAirだったので、久しぶりにオールインワンに戻ってきた。軽量型は何かしら引き算をしているから、クセがある。オールインワンは詰め込んで何でもこなせるような造りだから、クセがない(少ない)。面白みに欠ける、といえばそうかもしれない。ただ振り返ると、苦労を共にした感がこみ上げるのは、なぜかオールインワンの方だ。会社勤めをしてたとき、終電なくして東中野の駅から野方まで、えっちらおっちら3キロオーバーの520&アダプターを背負って夜道を帰ってたっけなあ、とか。その夜道の光景や、道順って、いまでもわりとところどころリアルに思い出せる。神楽坂の部屋の一角に、1DKで!は畳の六畳間だったから、DKの板間に当時あったパソコンデスクを置いて、G4に親指シフトキーボードを付けて使ってたなあ、とか。アルプスのプリンターでじーころ刷ってたなあ、とか。

そういう感情のこもり方を思い返してみると、新しいこのマックとはどんな出来事が感情とともに折り重なっていくのかなあ、といまから感傷的な気持ちになってしまう。あれ、本当に、いいかげん長いな。これ誰が読むんだろう??

何が言いたいかと言うと、コピーライターの卵で520を背負って歩いていた時みたいに、G4をがしがし使って寝る間もないくらい(平日の平均睡眠時間3時間台とかわりとあった)働いてた時みたいに、なんだかすごおくがんばるぞお、という気持ちがいまみなぎっている。ハードな日々を送る気持ち満々でいる。実際にどうなるかはふたを開けてみないとわからない。でもそういう気持ち。そういうエネルギー。そういう心でいる。

よーしやるぞー!

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4月

2020.4.21火

上の空で

いま夜10時半です。今日は火曜日、那覇は雨でした。

このところいろいろなことを考えたり感じたり思ったりしているのですが、いまは一つのことに集中していて、ほかのことはあまり手につきません。上の空です。そして、そんな上の空が、いまはいいんじゃないかな、という気もしています。

深い深い心の底で、小さな明かりだけ灯して、机に向かって、何かの言葉が出てくるのを待って、出てきたらそれを書き綴って、ということだけを。それだけで、それこそが、いまの自分の仕事だと、かってに思ってやっています。

2020.4.14火

奈良県の高校入試に

先日担当の編集者さんから、奈良県の公立高校入試(国語)で拙著『希望はいつも当たり前の言葉で語られる』から出題があった、と連絡を受けました。

中学三年生が、受験問題を集中して解くという特殊な時間であるにせよ、ぼくの文章を読んでくれたのだと思うとうれしくなります。

自分自身の経験に過ぎませんが、試験問題がきっかけになり、文学の扉を開くことはあると思うんです。ぼくは、工藤直子さんの『てつがくのライオン』という、大人になっても愛読する本に出会えました。

この本に書いたことは、ほとんどが個人的なことです。いまのような、自然の脅威に人間の社会が揺らいでいるとき、人間性と理性と知性とが、いかに科学的な知見の下に有効な対策を打てるかが問われているとき、拙著はほとんど何の答えも用意していません。

ただ、差し出せるものがあるとしたら「なんとか今日をやり過ごそう。どうにか明日に辿り着こう。そのために、よすがとしたのが、ここにある言葉です」という、一個の体験、思考、視点に過ぎないものの、試し打ちをさんざん済ませた、個の言葉だと思います。

このパンデミックが終わりを迎えたとき、おそらく言葉を書く仕事のスタンダードは大きく変わっていることと思います。そして変わらないことも多くあるかと思います。変わらないことの多くは、おそらく地道で地味で根気が必要で日の当たらない作業ではないかという気もします。日々の営みに必要な足腰は、きっといつの時代にも変わらないのではないでしょうか。

希望を灯すには、打ち倒さなくてはならない現実がある、と現状が伝えています。吹きっさらしの風の中、牙を研ぐべき時であろうとこころしています。

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