もう今年も何日もないから、ふり返ってみよう。
総じて、沖縄にいる間は、ずっと家にこもっている年だった。
夏までに一冊、秋口に貘さんの論考、それ以後にまた次の。それとカレンダーづくりと。
思っていた以上に、秋は上京することが多くて、また腰を痛めるなどで動けない期間もあり、予定を大幅に遅らせてしまった。
いまもまだ掛かりきりで、そのほか諸々もしつつで。
来年一月に神楽坂のフラスコさんで開く展覧会をする準備もあり、あれこれしながらの年越しになりそうです。
島以外のところでは、一月の東京、二月の大阪での展覧会。春は取材で上京。六月末から七月初めにかけて京都や名古屋へ。九月は、京都で貞久さんにお会いしたり、大阪でMAYAさんとワークショップしたり、たゆたうさんや阿倍野におじゃましたり、九月末に泉さんとお話させていただいた。そして十一月のKOHAKUの方々のコンサートで、童謡詩のリーディングをさせていただいて、十二月は貘展(のために東京と沖縄を三往復したんだった……)。
5月から、詩学の友のホームページをたちあげることができたのも、大事なことだった。準備しはじめたのは、2年前のこと。
いま手に握りしめている、次に蒔く種は何粒あるだろう。
とてもおおきなエネルギーを浴びた年だった。
その種をこれからどんな土に蒔こう。
おなじ志を持っている人に会うと、最近はわかるようになった。その志を持って、ずっと先を歩いてる人に会うと、驚くほど、会ったあとまで、いまも、ず〜んじ〜んと心に余韻が響いている。
スタイルとか、センスとか、素敵さとか、いい雰囲気とか、そういうのは、会う誰もが持っていて、そのなかでも、直感が響き渡るような、ああ、この人はきっとあれを大事にしてるんだ、とわかるとき、ずしん、と来る。
そして、エネルギーをぶわっと、つい出してしまうことがあるから、気をつけようにも気をつけられないから、相手を選んで、会う機会をもうけるべきなのかもしれない。あまり人に、いらぬ負荷をかけたくない。でも、話しているとつい、出てしまう。そういうものを、近い距離で発しても大丈夫な相手と、そうではない相手がいる。だからなるべく、気をつけてあまり、大丈夫な人にだけ会うようにしたい。せめてそう心がけて、あまり迷惑はかけられない。
友人たちは、そういう免疫ができているから(みんな変だし)、ほっとするし楽。
人づきあいは、敬して遠ざかっておく、というのがいいんだろうなと感じはじめている。静かに家にいて、あまり苦にならないので、これでいい気がしてる。
詩に関しては、変化の時期、と感じている。ここんとこ、原稿用紙をたっぷり東京で買い込んできたので、いまの山を乗り越えたら、詩を書く、だな。あと来年はもうひとつ、取り組みたいことがある。それも楽しみだし、試みとしてゆっくり、やってみる。
今年は、散文の寄稿が多かったけれども、来年は、詩の依頼をいただけたらうれしいなぁ。詩を発表したいなぁ。
そんな年になりますように。
うわ。更新がすごい空いた。あ痛た。
いろいろあった二か月間でした。
九月末に、山之口泉さんにお会いしてお話できたことは、もう、、一生の思い出です。。
そして十月、十一月と、ただひたすら淡々と家にこもって本の原稿を書いたり、来年の歌こころカレンダーをつくったり、ついでに十月後半にぎっくり腰になってとっても痛かったり、東京で童謡のための詩を朗読したり、してました。
十一月は信じられないほど怒濤の過密しめきりで、どうにかこうにかくぐり抜けつつ、いまに至ります。本当に終わらない出口の見えない真っ暗ななかを、こつこつと毎日どこかへ向かって足を進めているけれど、これが進んでいるのか動いているのかすら分からないトンネルだかマンホールだかのなかでした。は〜。
でもひさしぶりだから、日々のこと、書こう。
今日は十時に起きました。がば。
そしておもむろに昨夜書いた原稿(花の)を見直した。正岡子規の写生句のことを考えつつ、やがてお昼を食べ、午後はあたらしい原稿に手をつけました。夕方ごろほぼできあがり、担当の編集者に今月書いたぶんをまとめてメールしました。家族と夕飯を食べ、子を風呂に入れ、子がばたんきゅで眠り、それでいまこれを書いているところ。
ふう。なんて単調な一日。一歩も外へ出なかった。唯一、部屋からポストまで見に行って帰ってきた、のが外出になるんだろうか。家の敷地内だから、外かな内かな。
こんな日を毎日くり返しています。ほぼ、毎日。うわあ。でも意外とわるくありません。こつこつと、何かをつくり続けるというのは、楽しいから。ただ、すこしぐらい散歩したいな、とは思うけど、そう思ったらそうするぐらいの時間はつくれるから、つくろう。おー!
さらに日記は続く。
今年は春先からずっと、次の本の原稿を書いてました。七月末に一冊ぶん書き上がって、そこからもう一冊にとりかかってます(春も少し書いてたけど)。間に、九月は貘さんの論考を書いていたりして、ずっとではないけれど、十一月の半分はカレンダーづくりだったりもしたけれど、ようやく三分の二ほど、できあがってきたところです。
夏までのほうは、たぶん年明けに書店さんにお届けできるのではないか、と思います。いま絵描きさんががんばって描いてるところです。もう少し、したらできあがる、と思います。
その本は白井もすんごいがんばって、書きました。とにかくめちゃめちゃ調べて、去年の暮れからいろいろ読んで、調べて、知って、考えて、いろんなお話をうかがって、それらがたくさん一緒くたになって、そうやって書きました。七十二候よりも、大変だったぐらい。。ほんとに。
夏から書いてるのは、すこし毛色が違います。もうすこし、腰を落ち着けた文章です。それでも、だからこそこれから、いっぱいいっぱい推敲しなきゃいけないし、時間のかかりかた、書き方も気持ちの入れ方も何もかも、今年の前半の仕事の仕方とは違うのですが、それでも、投入しているエネルギーの量は多分同じで、ただ、時間の進み方が、違うんだと感じています。とにかくいま書いてるものは、もうしばらくかかりそう。
ここ読んでくれてるのは、基本、ともだちです。たぶん、いま読んでる人!そう!それは、ともだち。たぶん、そうだと思うなあ。だってたまにしか更新しないし、そのわりに、見に来てくれるんだもの。だからこれって、長電話となんらかわんないなあ。
無名小説を見てくれてる、そういうこの場所でこういうことを書けるっていうのは、やっぱり、大事な場所だ〜。。
いつのまにか、コピーライターをやめて、どうするどうなると思ってたけど、いつのまにか、本を書くのが一時的にいま、この二年くらいだけだけど、仕事になってて、また来年どういうものを書くのか、決まってなくて、でも、ふしぎ。こんなふうになれたらいいなと思ってたけれど、こういうふうに歩んでくるとは思ってなかった。と、きっとここを前から読んでる誰もが思ってると思うから、そういうのってうれしい。
未知の道が空中に浮いてて、下は見えなくって、どうなっちゃうんだろうと思いながらずっとやってきたことには変わらない。三十の頃からそこはおんなじだ。もういちどやれって言われたら、むり。どこへ行くんだろうかと思うけれど、わからないけど、なんか先にあるような気がしてる。なんかが待ってる感じが、してる。それはずっと歩いてったら、出くわすことができるんだろう。その道にいて、とぼとぼ歩いてる感じ、なんだろか。
とりとめもなくなってきたから、そろそろ。
明日から師走で、今年もあと一か月って、びっくりだ。ずいぶん長い長い一年だったのに、ひと月ひと月はうんと短くて、あっというま。なんだろ。一瞬は長くて、一日が短い。
この秋に変わったのは、万年筆を使いはじめたこと。これから当分、大事にしたい書き方。とくに詩は、原稿用紙に万年筆で、というのがしっくりきてる。先週22日に、ひさしぶりに、本当に現代詩は『島ぬ恋』以来で、昨年末でサルビアのメルマガに詩を書くのをやめたから詩の発表としても約一年ぶりで、童謡詩が今月初旬で、なんかほんとにひさしぶりに発表した詩だけど、「音の出どころ」って、それも原稿用紙で最終的に百枚使って、推敲して、仕上げた。一年まえに書いたもので、それから推敲したり、寝かせたりして、で、十月から原稿用紙にかりかり書いて、できた、って感じの。
来年は、本の仕事があがったら、詩の原稿にとりかかる時間ができるんだろうか。そういう時間がもし来たら、そこでやれってことだから、がっつっと推敲していくと思う。次の詩集を出すために。来年は一月に「旧暦のある暮らし」展を趣向を変えて、またあたらしい展覧会を神楽坂のフラスコでやる予定で、それは詩を中心に据える展覧会になりそうと思う。来年は、そういうふうにはじまるんだなぁ。なんだか、ちょっと、どっかりすわって、何かをやる感じになりそう。そういうのを欲してる。んでは、また。ね。
一週間があっという間だ。だって先週の金曜日は、大阪へ行っていたんだもの。土曜日は、午前中に阿倍野で月見のおはなし会をして、午後は貞久さんに京都でお会いした。鴨川でながめた川州の黄色い花たちがいまも目に浮かぶ。日曜日は、同じく京都のたゆたうさんで楽しく、詩的宴に参加。夜遅くなると、台風が近づいて大雨のなか大阪まで戻った。月曜日は、キッズプラザでMAYAさんと親子ワークショップ、のはずが台風がすごくて京都からの道が!というわけで午前の部はなくなり、昼にいらしたMAYAさんと「大変でしたねぇ。。」と皆で話し、午後はぶじワークショップをできた。すごくすごく、ためになる、話を聞くことができた。詩作の上で、意識が変革されてしまうほどのこと。本気ということ。火曜日は午前中に新幹線で上京。午後にひとつ、夜にひとつ、打ち合わせ。どちらも大事なもの。水曜日は昼に、イタリアから帰国中のつるちゃんと、すどうと三人でランチビールした。わいわいと夕方まで話して、学生ノリだ。そしてエネルギーを注ぎ尽くして夜、帰沖。そう、いつのまにか水曜日が終わっていたんだった。そんな一週間。駈け抜ける歓び?
気づいたら8月が終わっていました。まるで夏休みが明けた時みたい……という訳ではありませんが、もう秋ですね。。風呂上がりが、暑いです。。
8月は沖縄で初めて、朗読のイベントをしました。
いらしてくださったかた、気にかけてくださったかた、イベントにご協力いただいた方々、どうもありがとうございます。
おかげさまで、心に残る時間を持つことができました。
この秋は、島で静かに本を書きつつ、9月中旬に関西でMAYAさんとワークショップしたり、旧暦のおはなしをしたり、某所でリーディングしたり、9月末に東京でトークしたり、の予定です。
今年の後半はひとつひとつの作業を、ひとつひとつやっていきたいと思います。
中学時代からの宮崎駿ファンとしては、こんなことを書きたくないけれども、それでも今回の「風立ちぬ」について書いておこうと思います。以下はネタバレを含むので、ご注意ください。
ジブリアニメ「風立ちぬ」の感想 ←こちらをクリック
今年の前半は(とくに四月から)沖縄にいる間はほとんど部屋にこもって、原稿を書いていました。家から一歩も外に出ない日もざらにあって。
その甲斐あってといいますか、ようやくゴールが見えてきました。今月末のしめきりに、なんとか間に合いそう。。長い長いトンネルでしたが、向こうのほうに明かりが射し込んできた感じです。
先週は三か月ぶりに髪を切りに行けたり、土曜日には浦添のブッキッシュさんまで、諸見里杉子さんの朗読を聴きに行ったり、その後素敵な島の方々と飲んだり、久しぶりに、少しずつ少しずつ、きつく縛ってきたルーティンのペースを緩くほどきつつ、最終コーナーをまわっていっています。あともうすぐ。とはいえ、まだ補っていく原稿はあるのですけれども。
八月には、図書館に通い詰めて、たくさんの詩集や歌集、句集を読もうと思っています。そちらもとつとつと始まっている、並行してこの春から初夏まで書き継いでいる原稿のほうへ移っていこうと。春先には、本になるといいな、と今月末のしめきりに間に合わせたら、その次の本の執筆に来月から集中していけるのがいまからまた楽しみです。とはいえ、カンヅメ、ということではなしに、散歩したり、詩歌を読んだり、植物にふれたり眺めたり、そんなふうにしていけたら。
今日は昼、通り雨の激しいのがあり、ベランダに干していたふとんが、あっという間にずぶぬれでした。あわてて取り込み、部屋干ししていると、やがて晴れ間が出たので、また外に干し直しました。そんな突然のスコールと、からっとした青空が交互に来るのも沖縄らしいといえばそうなので、お天道さまには逆らえません。
詩のこと。
去年、『島ぬ恋』を上梓して、以後はほとんど詩を発表していない気がします。サルビアのメールマガジンでも、今年からはエッセイだけになり、時々、七十二候の本用の付録にと、詩と絵の春夏秋冬ポストカード用に書いたり、旧暦展のDMや、手仕事の作家さんの詩を書いたりとしてはいますが、どちらかというとそれらは用の詩(という言い方が合っているのか分かりませんが)で、無用の詩(と言ったらなおのこと、どうかとも思いますが、無用というのはわるいことではないと思いつつ)を発表していないなぁ、と思った。
それと、無邪気にここのホムペに毎日のように詩をアップしてた頃があって、そんな呑気な、右も左も知らないまんまの頃は、詩だけがあって、詩だけを見ていたなぁ、という気もまたしてきます。いまもそうでなくちゃいけないけど、じゃあいますぐそうしたいかというとちょっと違って、詩を書くこと、とともに、本を書きたい、と書いています。詩のこと、詩集のことはもちろんあるけれど、本を書きたい、と。それがゆるされているいまの状況は、つくづく、ほんとうに、ありがたいことです。
詩は、書いています。でも、それをどうしたらいいのか、分からないでいます。考えてしまっています。たくさん書いたものはあるような気がするのですが、それらを引っ張り出してみると、手もとで眺め、一篇一篇推敲をしたり、そのままにしておいたり、そしてまた元あった場所へしまってしまいます。
「詩学の友」
shigaku.org
というホームページを有志で立ち上げました。
思うところあり、詩の場をひとつ、仲間たちと作ることにしました。
一年半前から話し合いを重ね、いろいろな人に会って話を聞いたり、お互いの考えを交換しあったりして、少しずつ進めてきました。
詩集を一冊出すには、最低でも数十万円のお金がかかります。
それでも、何年も書きためてきた作品を発表して、誰かに読んでもらいたくて、詩人たちは詩集をこしらえます。
ただ、でも、その数十万円のお金を、なけなしの暮らしのなかで誰もが出せるわけではありません。どんなに素晴らしい詩を書いたとしても、その詩人に、詩集を出す見込みが立たなければ、世に知られることなく時が過ぎていってしまいます。
それは昔からそうであったろう事柄ですが、格差というものがはびこってきた近年、つまり雇用条件と賃金が圧迫される現状で、詩集を出すお金というのは、ハードルが高くなる一方になっています。
格差化の進行・継続につれて、詩集を出すための金銭的ハードルは上げ止まることを知りません。
問題意識として、これが一点。 詩集を出していない詩人の詩を、べつな形で伝えられないだろうか、と。
そして、せっかく詩集を出しても、数百部です。詩人仲間に謹呈したり、詩の出版社や文芸誌・新聞社の文化部に送ったりしたら、あとは家の押し入れあたりにしまい込まれて、何年もほこりをかぶっている、という話も珍しくありません。
一篇の詩を書くのに、どれほどのものが注ぎ込まれるか。時間も、生きざまも、創作に関わるすべてのエネルギーも、一冊の詩集にすべて費やされます。
おいそれとは、できあがりません。一生のうち、一人の詩人が出せる詩集の数は、人によって異なりますが、一生に一冊ということもありえます。
ですが他方では、一年のうち、何冊も何冊も詩集が刊行されます。どっさりと。
それが毎年くり返されます。
人の目にふれる前、人の記憶に残る前に、どんどん出てくる新しい詩集の流れにおしながされるようにして、埋もれていってしまう詩集はけっして少なくありません。
もちろんどのジャンルでも、そうです。淘汰というものは残酷なのだ、ということかも知れません。ですが、その一言で済ませられるとも思えないのが、一読ではその価値をおしはかりきれない詩というものの深さだとも思うのです。
何年も経過したのち、初めて、あの詩のあの一行はそういう意味だったのか、そういうことだったのか、と気づくことのほうが、むしろ個人的には普通です。ほんの一読でわかった気になれるほど、簡単な書物ではありません。
だからこそ、何年も経過したのちに、あらためて出会い直すことも詩集との出会いにおいては大切なことです。淘汰という便宜的な説明を是として、埋もれさせてはいけない、と思います。
これが問題意識の二点めです。
残すべきものがある、と上記の詩集にかぎらず、思っています。
それは三点めではありますが、もうすこし伏せておきます。発表したら、おのずとわかることなので。
壁と卵のたとえ話を、村上春樹が二年前にイスラエルで話したかと思います。
卵の側に立つ、というのは、あらゆる表現者が表現者であるゆえんのところではないか、とも思いますが、古くはパトロンという文化もあったので、むしろこれは近代的な考え方かも知れません。その、卵の側に立つとは、いまの時代どういうことなのでしょう。どうしたら卵の側に立つことができるというのでしょう。むしろ、卵を踏みつけにして成り立っているような消費社会に生きていながら。
矛盾をかかえながらもなお、卵の側に立つことを選びとりたいと思います。壁の側に立ちながら、卵のことも考える、といった折衷案のように見せかけてただ長いものに巻かれるだけの現状追認ではなく。
詩の世界は、それ自体が卵のようなものです。どこを向いても、吹けば飛びそうな脆弱さで、それを必死にこらえてその場に立ちどまることが精一杯のように見えます。
そんな精一杯も、この十年でだいぶ弱り、詩の世界はずいぶんと、世間と同様にからからになってしまっています。そこで歯を食いしばっている人たちだらけだというのに、それでも、人を人とも思わない世の趨勢が、詩の世界にも及んでいるように見えます。
卵の殻が懸命になって、風当たりに耐えているとき、もっとも必要にして、詩人がほとんど唯一とりうる道というのは、詩を書くことです。
そして、ほとんど唯一といったのは、うっすらともう一つ、大切な道があるからです。
それは、
詩を読むことです。
詩人が、詩を読み、まだ誰も気づいていないきらめきを最初に発見する読者になること。
それもまた、詩人にできうることだと思います。
いま足りないのは、読みの場です。
ほとんど誰にも知られていない詩を見つけて、ほら、と最初に差し出せる手を、詩の世界は必要としているように感じます。
そんな場を、来週あたりから始めます。
詩を読もう。
大事な何が
新しく一年生になる子らが
自分で自分の雑巾を縫うことより
大事な何が人生にあるだろうか
泣きべそをかいて
子が途中で投げ出したくなったとき
やめる勇気も時には必要だけれど
いまやめたら中途半端なことしかできない子になるよと
親が真剣な顔で諭すほど大事な何が
光は中庭に降り注ぎ
昼過ぎまで降っていた雨が去っても
ここに降り注いでまだ消え去らないものを
誰も忘れないあいだ
一枚の雑巾が
その子の手に握られた針と
針穴を通した糸とでついに縫われたことより
大事な何がこの世の中にあるだろうか
光陰矢の如しと、春眠暁を覚えずの間を、あっちへゆら、こっちへゆら、しています。
子が入学式を迎え、小学一年生になりました。不思議です。このホームページを始めたとき、まさかここにそんなことを書く日が来るなんて想像だにしてませんでしたが。
四月は、感じるところがあります、ね。
いつか、あいつの絵で、京都の本がつくれたら、いいなぁ。
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いろんなことが動いているのですが、ここに書こうという気がなかなか起きず、
今年、山之口貘さんの生誕110周年、没後50年を迎えるため、貘さん関連のイベント企画が沖縄であれこれ進められています。とか。
日々あれこれ淡々と書いているのですが、こうして書いている間は、発表前の不完全なものなので、言うことがありません。黙って書け、俺、というか。
当分はこのカンヅメ状態が続きそうです。
詩は、毎日書いています。書きたくて、つい手が動いて、
先月末から書きはじめたシリーズが十七篇、
あと、その他がときたまぽつぽつ、
もう、ね、
午前中、詩を書き、それから、下調べをしておいたノートや資料の本を手許に、やっと原稿に手をつけ始めることができた。
昼をはさんで午後はあっという間に過ぎ、でも夕方までに一本、書けたからうれしい。このところ、物の本を読んだり、図書館へ足を運んだり、つらつらと考えたり、じっと目の前の一言一句を見つめたり。そんな時間の楽しさよ。それを経ての一本め。
で、子が帰ってきて一緒に遊んだり(最近トランプがブームです)、夕飯を食べたりする時間に、さっきまで書いた原稿の穴が見えてきて、皆が寝静まった台所、これがいいんです、原稿を書くのには、で手直しをしていました。ひとまずここまでで、少し寝かせて推敲していきます。千本ノックではないけれど、今年はこれのくり返し。淡々と続けていこう。
さ、三月って、、年末並に忙し、、
こんなにあれこれやらなくてはいけないことが目白押しとは、二月下旬に差し掛かり、あれ、、もしや、、と思ったものの今月に入って、ハッと気がつきました・・orz
淡々と進めねばなりませんが、ひとつひとつの作業が濃密にどっぷりとそこに深く入って行ってやるものですから、今日も昼過ぎから夕方までが一瞬、、でした。。調べものは楽しいと、時間があっという間ですね。
毎朝詩を書き始めて、今日で六日目。一日二篇書いた日があったので七篇になりました。行けるところまでこのペースで書いてみようと思っています。書けるときに書いておかないと、と。これから半年くらいかけて、ひとつのまとまりある作品群になってくれれば、、と思いますがそのためにも、ここで土台が見えるところまで行っておきたいと思います。
あ、瑞泉で2013年原酒という泡盛を買いました。子をお迎えに行って、帰りに寄って。53度って一体・・・。
昨夜めずらしくデンタルフロスを使ったら、ぽろっと奥歯の詰め物がとれ、今日の午前中に歯医者へ行ってきました。ああ。。
午後は那覇の美容室へ。最後に切ったのは年末で、二か月ぶりに、おもた〜い髪をさっぱりしてもらってきました。ふぅ〜。
もう二月も、、あっというまにおしまいです。はやかった。。一月の弾丸ツアーの後とあって、くたっくたに体が疲労を蓄積させていて、かぜひいたり、アレルギー性鼻炎がひどかったり、二週間ほどまともに活動できてませんでしたがなんとか、体調が平常運転に戻ってきました。
今週初めに、手帖の第三回の原稿を仕上げて送りました。これで、手もとにある仕事は、季刊サルビアとサルビアのメルマガ、YUCARIという定期のもの、それから本の執筆。そして何より、詩作となりました。この二年間、詩を書くということが、ほぼ迷いのなかでのことになってきました。昨年上梓した『島ぬ恋』に収めた幾篇かは2011年に書いていますが、それらの詩を書いたのち、その迷いが確実に心の重りとなり、書こうとする気持ちを沈ませてきました。迷いとは、迷いとしか言えないもの。震災と原発事故とがいまも人を悲しませ、苦しませていることを前にして、自分にどんな言葉を発する資格があるのかと、放射能汚染という面では国際基準値を一桁下回る島で暮らしている自分が何を、とそういうことが迷いとなっていました。
手帖の三回連載のなかで、この二年間感じてきたことを、ふり返り、見つめ、言葉にし、自分自身の内面にあったものに気づき、出せるもの、いま書くべきだと思うもののうち、散文で書き得るものに関しては、出し切ったと感じています。そして、年末に出会った、いわき在住の新しい友人と話を重ね、そこに、あなたが生きているんだと、人の命の存在を、肉声とともに受け止められたことを通じて、自分のなかにあった傷ついたものが、なぜか、癒えていくのを感じていました。机上の空想の心配や不安を、そこで生きている人の生の声が、照らし返してくれました。
なぜ、と問いたい気持ちがまだありますが、それよりもまず、なぜ、と草の声に、光の波音に、土の温度に、耳をかたむけて聞かなくてはなりません。気づかなければなりません。傷ついているのは、自分ばかりではないのだから。
書いてはみたものの、どう判断していいか分からずに、書きっぱなしにしてきた詩編を、どう見つめればいいのか、ということ。また、新たに詩を、書くという気持ちがいま湧いてきていること。それが、手帖の原稿を書き終えると共に、変化として生じてきました。昨日、今日と一篇ずつ詩を書きました。何か月に一度しか書けなかったのが、この重りを感じながら書くんだ、という気持ちのふんぎりのところまで辿り着けたかも知れません。それは、「島を、いまを、詩を見つめる途上」と題して書いた三つの短い散文が、呼び水となって、その先を詩の道が抜けるように、ひらいてくれたおかげかもしれません。
行かなくては。もう行かなくては。ずいぶんとのろのろとした足取りで、ずいぶんと出遅れていました。顔をあげよう。まだ、これから、向き合うことが、どれほどか、あるといういまなのだから。
書いたものを、どこかで見ていてくださるかたがいるというのは励まされる思いのすることです。だからこそ気を引き締めて、あらためて目の前のことに向かい合っていこうと心します。
今日は、不思議な音楽のアルバムにコメントを寄せたり、サルビアの月イチメルマガに島の暮らしに関するエッセイを書いたり、ちょこっとした詩の仕事をしたりと、先週からとりかかっていた書き物をあれこれまとめ、先方に送っていました。
これから来月初旬にかけては、第三回目の手帖の原稿を詰めていきながら、少しずつ、書籍の仕事にエンジンをかけていきます。
洗濯機の中でかき回されるように一月から二月前半を駈け抜け、ようやく戻ってきました。おかげさまで、旧暦のある暮らし展を無事開催することができました。いまは大阪で今月24日まで、日本の七十二候を楽しむ展を池田にあるカフェギャラリーphteahさんで開催中です。
二月三日にそのphteahさんで旧暦のおはなし+キャンドルナイトの夕べを催して、二月四日に久しぶりに沖縄に帰ってきました。半月ほどの東京滞在はこれまでにもあり珍しいことではないはずですが、本当に、今回はひさしぶりの沖縄・・という感じの帰宅となりました。
この三連休には、末の従妹の結婚式があり、横浜から父母も参加。とくに父は一年以上ぶりに会う孫と遊べるのがうれしい様子で、僕もうれしく感じていました。披露宴では、沖縄では必ず絶対に是が非でもやれ!と厳命が下る「余興」というものがあり、いとこ一同で、マダガスカルという映画の挿入歌?踊るのスキスキに合わせて皆でダンスをする、というパフォーマンスを疲労、じゃなかった、披露しました。
さて、ようやく平常運転に戻り、これから執筆をしていきます。島で、淡々と、着実に。
生かされているんだ、ということを最近忘れている、と気づく。ついつい、傲慢になっている。やばい、まずい。
この島で、いま暮らせているのは、もうこれは100%完全に、幸運な偶然の、砂上の楼閣のようなもので、これが恩恵以外のなにものでもあるはずがない。ということを頭で分かっていても、心で最近、感じていないんだ、と我ながら愚かしい。ばかだ。
せっかく生かしてもらっているのだから、何をすべきなのか、何がじぶんのやるべきことなのか、心していくところを、思い上がっていてどうする。
ゆっくり、 2月までの展覧会のあとには、何の予定も入っていないのだから、 世の中から離れた、 ちっぽけな机の前でひとりいて、そのひとりの何もできなさに向かい合いながら、落ち着いて、冷静になって、何ひとつまともにできはしないんだってことに、もういちど気づこう。
それでも、 たとえそれでも、 何かをしていい、何かがちっぽっけであってもできうるかぎりのことをする、できる、ことがある幸せにまた、恵まれるのなら、そこに必死になって、打ち込もう。
手にすることができるのは、本当にひと握りの、ひと粒だったりひと欠片だったりするだろう、それを、それに、感謝をできるだろうか、この傲慢さから離れて、一から。
年が明けて、2013年になったんですね。
あけましておめでとうございます
年のはじめに何か願いや祈りを、というより、どんなにか小さく、ささいなことでも、自分の仕事に意を注ぎ尽くそう、という思いでいます。
いま、どんなにか困っている人がいるだろう、とそんな切なる感覚が、なぜこんなふうに胸につまるのか分かりませんが、感じられてなりません。
昔、ここに書いた詩を、ひとつ挙げておきます。
「ヒーロー」
待ってろ、
今行く。