窓をきれいにした。すべりこみのように小そうじ。
☆
今年をふり返って、個人的に起きたできごとを記しておきます。
・沖縄への移住
これの一つまえの日記でもふれましたが、
ここまでの人生をふり返っても大きな転機となりました。
・祖母の死、父の生家
父方の祖母が九十八歳で天寿をまっとうしました。
父の生家へ伯父に連れていってもらい、小さな小学校を見てきました。
安城から新城、鳳来町へと稲穂のきれいな田が続いていました。
・キャンドルナイトポエトリー
今年一月に出会った滋賀の和ろうそく職人、大西巧さんはじめ
いろいろな人と出会いながら各地で開催したイベント。
西荻窪で雪舟さんたちと、神楽坂の茜やさんで、
会津の樹ノ音工房さんで、仙台で詩人さんたちと、
大阪ではりえさんのおかげで色んな出会いに恵まれて、
ラストは蔵前のサルビアで、とあちこちで。
“電気をけして 天然の灯をともそう”という合い言葉は、
一月に思っていたものから、震災と原子力発電所事故を経て
意味の底をみつめるようなものへと変質していました。
・『川口の匠』
一昨年にお話をいただき、昨年一年がかりで取材し、
執筆を手がけた本です。埼玉県川口市の
ものづくり職人のかたがたは、皆素晴らしい方々でした。
・大阪の三日間
MAYA MAXXさんとのキッズプラザでのワークショップ、
大阪市立中央図書館での、詩のおはなし会、
キャンドルナイトポエトリーを大阪でできたこと、
ギターのまつもとさんと一緒にしたリーディング楽しかったな
そして、貞久秀紀さんに一年ぶりにお目にかかり、
心ゆくまでお話できたこと(ご自宅に泊めていただいてしまいました)
どれも大切な思い出です。
三日間のイベントをコーディネートしてくれたのは
キッズプラザの石川さん。
佐久間の行きつけの天満の店で飲めた時間。
・無印良品の仕事
いつかしたいと思っていた仕事の一つが、無印良品です。
ご縁で今年、手がけることができました。感謝です。
・詩の仕事をいくつか
琉球新報に詩を発表できたことは、うれしいことでした。
掲載は八月十三日です。お盆であり、そして終戦を迎えたときであり、
幾重にも思いが去来することでした。
また現代詩手帖に、貘さんとの日々を綴った
山之口泉さんのエッセイについての文章を寄せることができたのは
貘さん好きとして大切な仕事となりました。
同じく手帖の震災特集やガーネットには、このところの
人のこころと身、そして詩のことばに関する文章を寄せました。
事後の時間というのは、途方もなく長いものです。
その事後の時間に向かい合うときに、何をよすがとするものなのかと
いまも考えつつ、感じ、思いつつ、詩を書いています。
また、詩誌へ作品や拙文を載せていただいたこと、うれしく感じています。
・郡山の仕事
一昨年の暮れから話を進めていた郡山の工務店の仕事は、
どのように進めていくことがよいのか、ずっと考えつづけながら
意識しつづけること、そこに終わりはないということを
つねに心するのだと思っています。
予断はゆるされない、そして光明と希望をどこにかみつめて
現実から目をそむけないで、人は生きていかねばならないと
さまざまな感情や思考を一概にことばにできないでいます。
・子が沖縄のようちえんに入園
叔母たちがかつて通っていた沖縄のようちえんに
子もまた入園し、ふしぎな縁を感じています。
運動会では、OBである叔父たちと観ていました。
・旧暦のある暮らし展
ずいぶん昔なことのように感じますが、今年の一月のこと。
初めて事務所を構えた神楽坂の町で
旧暦の展覧会をすることができました。
☆
今年はあまりにも色々なことがあって、
ふり返るとこれまでの時間が、いつもの年の三倍ほどにも感じ、
こうして年の瀬まで来ていることに、不思議さと感謝をおぼえます。
いまここへ読みに来てくれている人、いつもありがとう。
どうぞよいお年をお迎えください!
こつごもりから、おおつごもりへと今年が暮れていきます。
ずいぶん色々なことが、きっとみんなそう、ありました。
したし、起きたし、変わったなぁ。
来年はどんな年にしたいだろう。
夢だったことを、はじめられたら、いいな。
一つ、一つ。
種をまく年、その二、かな。
☆
今年起きたいちばんの変化は、沖縄に来たこと。
こんなにいい島だったんだ・・・とあらためて、住んでみて実感。
海がみえるっていい。空が広いのも、日が照りつけるのも、
沖縄そばがうまいのも、泡盛やオリオンビールがうまいのもいい。
いろいろな人に支えられて、どうにか年を越せそうです。感謝
来年は夢もそうだけど
これからのための種をまけるといい。
じぶんの信じる世界がより確かになるように、
足もとからふみ固めていこう。
ありがとう、いつも、いつも。
沖縄に戻ってきても、やっぱりカンヅメ。
今年の暮れはこんな感じみたい。
大事な仕事。がんばる。
ようやく夜すこし、落ち着ける時間があって、
いただいていた詩集や詩誌、手紙に返事を書く。
手書き。手書きって、いい。
最近つくづくそう思う。
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを
なによりも第一にするということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら
企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら
政府を倒す ということだ
(花森安治「見よ ぼくら一戔五厘の旗」より)
いま引用したのは「暮しの手帖」を創刊した編集者、
花森安治のことばです。
いまに至るまで続いているあの雑誌をはじめた編集者には、
こんなに熱い思いがありました。
それは、第二次大戦で壊滅した、庶民の暮らしこそが、
何よりも大切な、かけがえのないものだ
という痛切な思いに裏支えられています。
どれほど暮らしというものを根本までつきつめたら
「ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す」
というほどまでに、日々を安心して健やかに暮らしていくことを、
他の何よりも最優先して考えられるものでしょうか。
最近話題になった「通販生活」の
原発国民投票にも同じ思いを感じます。
おしゃれで素敵な暮らしを楽しむための雑誌の創刊精神が、
じつは根底で、ここまで揺らぎのない抵抗の意志に貫かれていることを、
いまあらためて思い出しておく必要があるように感じています。
平和でのんきな生活が好きなじぶんとしても、
戦後詩のあとにいま現代詩を書いているじぶんとしても、です。
「ぼくらの暮し」のほうが「政府の考え方」よりずっと大事なんだという決意が、
暮らしの雑誌編集者の胸に宿ったように、
同じ思いは、戦後詩人たちにもありました。
また、たとえば戦後の復興期のヨーロッパでは、
人々の気持ちを明るくできたらと、
マリメッコの明るいパターンデザインが生まれました。
人が、平和に、健やかに、安心して暮らせる世の中にするために、
たくさんの人の思いが、それぞれの場所で、それぞれの仕事で、
それぞれの営みに込められてきました。
その延長にいまがあります。
けれども、もしも、ようやく手に入って、
あの戦争のあとにたくさんの人が一所懸命にこしらえてきた、
願いのこもった「ぼくらの暮し」が、
もしも、もう一度ゆるがされるようなことが起きたら、
どうしたらいいのだろう。
「ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら」
どうしたらいいのだろう。
今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための
ぎりぎりの限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
と花森安治は書いています。それはいったい、いつのことでしょう。
もしそれは、いまなんだと言ったら、変でしょうか。
必ずしもあわてて立ち上がる必要はないかもしれない。
いますぐ声を荒げなくてもいいかもしれない。
でも、今度はどんなことがあっても、はっきり言わなくてはいけない、と思います。
人には、暮らしていくための「ぎりぎりの限界というものがある」。
それだけは、何があろうと譲れないと。
カレンダーづくりの作業が、ひと段落。。
ふぃぃ。。
毎年毎年、これは山登りのよう・・ハード・・
でもひとまずプリントアウトと
表紙の手書き文字までできました。
週明けに、工場に断裁をお願いしまっす。
こんな感じ。
プリントアウト中。紙の種類が途中途中で変わっていきます。
そして表紙を一つ一つ手書きしています
「ロッキーチャック」
昨年、ふいになくなった友人は、しょうもないオモチャを集めるのがすきで、樹脂製のキャラ人形を、ETが自転車のかごに入って少年と空とんでるやつとか持ってて、部屋に飾ってた。基本ごちゃごちゃと物が多いやつだった。
そのなかで、いちばん気に入ってるのが、ロッキーチャックの人形だった。なぜ?って感じだったけど、大学時代から持ってたのをおぼえてる。下宿にあった。そいつが院を出てからだったか、オランダに1年留学してる間、なぜか「預かっててくれ」と言われ、チャックをうちに預かってた。
その翌年、帰ってきたとき返した。たしか90年代の後半。それからずーーーーーっと、チャックを持ってて、結婚後も部屋に飾ってたわけだ。そいつが昨年の春にしんで、9月に西荻でやつの絵の展覧会をしたとき、かみさんが「これ置いとこう」って言って、会場の受付のテーブルにチャックを置いた。
トレードマークみたいなものだから、って。気に入ってたから、って。やつ自身の水彩画で、まねき猫を描いたのがあって、それを玄関に飾っていたとかみさんは言ってた。まねき猫とロッキーチャック。その両方を、展覧会では、入り口と受付にそれぞれ飾ってた。
「ロッキーチャックって、チョッキ着てるのに、下半身丸裸なんだよな」みたいなことを、そう言えば昔、やつが言ってた。気に入ってた理由には、そのあたりのこともあるかもしんない。
たしか放映されたのは、ムーミンの次で、ハイジの前だった。両名作にはさまれた、マイナーな存在のはずなのに、幼少期のレコードの歌がどれもいい歌だったことと、わざわざうちに預けてくるほどチャック人形を気に入ってる友人がいたこと。そのおかげで、おれのなかでロッキーチャックは、だいじ。
↑うちにあるレコード
「旧暦のこと」
空に浮かぶ月も、庭にくる鳥も、道ばたの草木も
とても身近にあって、
それらをみるにつけ、こよみの世界とつながっていく。
夜更けに、二階の小窓ごしに
うっすらと細い新月近くの月が屋根のうえに見えたり、
ほおじろが庭に舞い来て、金木犀の枝にとまったり、
坂道の途中にある銀杏の木の下で、人がひと休みしていたりする。
そのひとときひとときが積み重なりながら、
晩秋、あるいは初冬の季節感として心におりていき
やがてひとつらなりにめぐってはまためぐる
日や月の周期に沿ったこよみと
添い合わさってきたんだろうと想像する。
しずまる気持ち。自然を近くに感じるほどしずまる。
ただ、そのもう一方には、
あらぶる、たかぶる、心もあって
ひさしぶりに大友克洋のAKIRAをぱらぱらと読んでみると
金田君の行動にもセリフにも惹き付けられてしまう。
いまの時代の男子は
健康優良不良少年くらいでちょうどいい。
そんなふうに思わせられてしまう。
空気なんか読むな
血が湧いて、肉が踊りながら
つっ走り続けないでどーする
と思う。
古の男たちは、どうしてたんだろか。
自然を見つめ、情動を抱え、
流れのなかにいる身と心とで、
自然に寄り入ろうとする心も、身のままに駆け回ろうとする情動も
自由にあることだけが生なんだろう。
気づけばもう、今年も残りわずか。
いろいろなことが、変わったな。
沖縄に住むなんて思わなかったし、
毎月飛行機であちこち行くなんて
思ってもみなかった。
東京のまちが、違ってみえる、
おおげさにいえば、世の中も。
SFに出てくる荒廃した未来都市が
現実の一側面の比喩であったところから
より一歩二歩こちらへ踏み込んできたようで
そうした創作物の呈示する世界観もまた
これまでと異なる距離感で伝わってくる。
いままで書いてきた詩も、
生活に根ざした詩を、と書いてきた
意図というか、願いというか、そのいくつかが
あらわになっていく。
あらわになるのを感じて、
またこれからのものを書かなくては、と思う。
詩は 先駆けになっていなくては、と思う。
この、変わった世の中を感じながら
いま、どこへとどう帆を張るのが先駆けなんだろうかと
考えるかわりに、えいえいと詩を書く。
かぜがだいぶよくなって、
水曜日ぶりに夕方さんぽに出た。
カメラに白黒フィルムを詰めて。
駅まで下りていくバラ園の坂で、
竹林の丘を一枚撮った。
夏ころからちょっとずつ
準備してきたホムペのリニュ、
そろそろアップしてみる。
こんなんで、どうだろか。
来年の1月で丸10年になる。
かぜをひいた。
からだのバランスがわるかったんだろう。
のど、はな、あたまいた。からだはよくできてるなあ。
16日は、まど・みちおさんの誕生日。
お元気とのこと。うれしいな。
この場所へ来ると、ぼくはいつもひとりだ。
無名小説
山田がホームページを開設したのを見て、じぶんもやってみようかと思った。
一月二十日の土曜日だったと思うけれど、
書店でいちばん薄いHTMLの本を買ってきた。
パソコンに向かい、ページをめくり、順番に練習していった。
そして、ざっくりとした、本当に文字とリンクだけのページを
その日の晩につくることができ、
そのころ入っていたインターネットプロバイダのサーバにアップした。
そのとき、画面に向かって、何かタイトルを付けなくちゃいけない、と数分なやんで、
それで 無名小説 というこの名を付けたんだった。
思いついた瞬間、すごい気に入った。いまも気に入ってる。
この場所は、じぶんひとりになれる。他の誰もいない。書くときに。
読みに来てくれる友人が、最初のころ、読者の全てで、
友だちが見に来てくれている、その読み手(友だち)に向けて、というわけでもなく
ああ みてくれてんだなぁ うれしいな と思いながら、好きなことを書いていた。
いまもそう。
でもちょっと違ってしまって来てる。
詩を書くと たのしい。
そして すきなこと 書きたいこと 手がかってに動いたことを綴ると楽しい。
それだけでしあわせで、それがしあわせ。
いま さくまのことがあってから、それ以降の詩を書いている。
ずいぶんできた。十篇以上ある。二十篇近くになっている。
書いた、というだけのものを合わせれば(セレクトで引いたもの)三倍くらいあると思う。
どこまでいこうか と思っている。ずいぶん書いたけど、よし、これで、とまだ思えない。
ようやく折り返しに来たくらいだろうか。
この夏、とりくんでいた詩があって、夏の終わりにもあって、
それらが、いくつかできあがっていった。
今回の日記はずいぶん長いな。。
来年、詩集にまとめたいと思ってる。あいつの三回忌だから。
それは四月で、まにあいそうにないけど、
でも来年じゅう。
そんなに、直截的な内容の詩じゃない。むしろ、
なんの関係もないようにみえると思う。
いま↑に貼ってる詩(※「祈りははだかで」)もそのひとつ。
でもいい。出てくるまんまに書いた詩だから、つもりもへったくれもない。
来年、一冊、まっしろい詩集を出そうと思う。
それは事の成り行きとして、
あの二人に捧げるものになる。
元博物館の広い空き地は塀だけが残って、それに囲まれており、
沿って歩くと、塀を越えて向こうに高い木の梢が覗けてみえた。
手まえの塀の上に梢が遠くみえ、塀と木とのあいだには宙が広がってあり、
そこは空き地の上の宙だと思われ、ひるがえってみると、
その宙の下には博物館のあった空き地が広がっているだろうことが想起された。
なにもない ということを御嶽について言った岡本太郎のことばが思い浮かんでくる。
なにもない とは何かあるものが近くにあったり、
並び、また囲まれてあったりしてこそ、なにもないと感じられもするけれど、
何かに囲まれてある空き地がつねに、
このような なにもなさ を感じさせるわけではなく
この なにもない の感じを、あらためて岡本のことばとともに受け取ると
おきなわという土地の固有の、雰囲気が働いていることを思わずにはいられない。
なにもないところになにもないと感じることの、このふしぎさ。
ただ塀があり、梢がみえる、というそれだけのことのあいだに。
夏から秋にかけて、沖縄から東京や横浜、愛知、郡山、大阪、そして北海道まで
全国あちこちへと飛んでいき、それぞれの町で、それぞれの印象に残るできごとがあった。
いままた沖縄へ戻ってきて、すこしわからない感覚になっている。
ここは どこだろう
場所ということもそうだけれど
いま ぼくは いったいどんな時代を暮らしているんだろう。
ひとがいかに生きるか、という問いを、いまほどすぐそばに感じたことはこれまでない。
さいきん 空ばかりをみている
写生ということをひとつ置いたとき、
つきつめると 空
(とどまるところをしらない[そら]であり、焦点の合わせようのない[くう])
というものをどうみつめ ことばに起こしていくか というところへいま来ている
またつぎどこへいくかはしらない 空をみている
ベランダから街並をながめていると、起伏の多い首里だから、
坂の下に道があり、その向こうはまた勾配になり、
夜だと車が走っていくときのライトが建物の壁を明るくするのや、走る音、
木々の濃さも東京の比じゃなく、ざわめいたり、
ときおりやもりの鳴くかろやかな声がひびいたりする。
島の夜空はこぢんまりとして、それでいて視界いっぱいにひらけていて、
街並をみながらも、雲が流れていくさまがわかり、月のすがたも手にとるよう。
家並と空の境には、丘のうえに鉄塔が立ち、チカ、チカとライトを点滅させる。
那覇のほうからぐうっと飛行機がまわって飛んでくるルートもみえる。
それら夜空、夜景をいちめんにみていて、
どこか一点をではなく、できるだけ目を、広いあたりをみているようにみようとする。
けはいを感じてもそちらへ視線を向けるのでなく、
うっすらとだけ視界のなかに収めるようにする。そういうふうにしてみている。
そうすると、なにかかわってくるのではないか、と想像する。
一本のガジュマルの木をじっとみていると、最初は気づかなかったけれど、
そこにたくさんのいきものの姿形が(鳥や新芽や他の植物や)、
ふとした瞬間、ありありとみえてくる。
そんなふうに街並もあるとき、ぐんとみえてくるのでは。
まだ想像にすぎなくて、試しはじめていることだけれど、
浜辺で、田んぼで、木をながめていて、そうだったように、きっとそうみえてくると思う。
あるものがあるように、つぶさにみえてきて、そうなって初めて、目をとじられたら、と思う。
そんなふうにいま、詩をかこうとしている。
さきおととい郡山にいて、きのうは那覇にいるじぶん。
夜、おもろまちで青年会のお祭りがあり、エイサーをみた。
東北で公演をしてきたという人たちの姿をみていて、くるものがあった。
これをどんな気持ちでみていただろうと。じぶんが会った人たちと重なるように。
きょうの昼、首里城のあたりを歩いていて、
ようやくいまじぶんは沖縄なんだという実感が湧いてきた。
南の島の濃い緑は、人の心をぐいっと自然の側に引き寄せる、つよいつよいちからで。
その「ぐいっ」に、実感した。この濃い緑の島で、人は軒先を借りてるようなもの。
ぐいっと自然のほうへ引き寄せられながら暮らしているから、
自然の一部になるような感覚を、おのずといだくのかもしれないと思った。
自然・自己一元の生、とことばを思う必要もないくらいに。
心身をゆだねるまでもなく、とっくに自然にとり込まれている。
きのうから今日、ひたすら眠る。
そろそろ夏も終わり。とはいえ、暑さがしばらく続くけれど。
家から叔父宅へ行く坂道は急で、暑い日は汗がでたり、息がきれたりする。
途中で足をとめ、坂の上にみえる青空、左手に広がる空をみては休むことがある。
家から家へ道をはさんで渡される細い電線は、ゆるくたゆんでいる。
空をとも、電線をともなくみていると、小鳥が横ぎる。
高くから射す日が、はばたく鳥の羽を透かすようにあたる。
透けるようにしろく明るんだ羽をはばたかせ続けながら、小鳥は家の垣根へと舞い下りていく。
同じ道が夜は、よわい街灯がぽつぽつと灯るだけの
むしろ月明かりに照らされるほうがよほど明るいような夜道にかわる。
暗がりに馴れて歩き下りていると、右手の木から物音がして何かが飛び立った。
おおきな影は道のうえを旋回して通りのほうへ去っていった。
ばさっばさっ、と重たく空をかく羽音はこうもりのものだった。
飛び立つ音に遅れて肩をすくめ、また坂を下りる。
緑濃いばかりでなく、生き物のけはいも濃く漂う。
隣近所の感覚になってくる。