12月

2016.12.23金

この一年

まだあと一週間ちょっとあるけれど、今年をふり返って。

ぱっとは思い出せないこともあるかもだけど、思い出深い出来事をいくつか挙げてみようと思う。

一月に、沖縄県立芸術大学の芸術学科の一年生向けに、実技演習という講義を受け持った。20日余りある日程で、詩を書き、簡易な本を作る。大学生だけを相手にして詩を書いてもらう時間というのは、初めての経験だった。おもしろく、自分にとって意義深かった。大変だったけれど、それだけに、演習をいっしょにやった一年生たちのことは一人一人、あの人があのように詩を生み出したな、と印象に刻まれている。その過程に立ち会えたのが、役得であったような。そんな時間だった。

二月の青山スパイラルでの詩のイベント。昨年上梓した詩集『生きようと生きるほうへ』をめぐって、担当編集者の亀岡大助さんと話をできた。前のめりに話してしまって、もうちょっと落ち着けよ、と今なら思うけれども、それでも、幸せな時間だった。そのほか、今年は、詩関連のイベントに恵まれた。そんな気がしている。言葉を探す旅、十一月のomotoさんの展覧会での座談会、一月には恒例となった神楽坂での「詩と旧暦のある暮らし」展はもちろんのこと、思い返せば、詩があちこちに顔を出しては、おーいおーい、とあそぼうよと声をかけてきてくれるような、そんな感覚がある。

三月には、初めての絵本『えほん七十二候 はるなつあきふゆ めぐるぐる』を、九月には、初めてのおきなわ本『島の風は、季節の名前。旧暦と暮らす沖縄』を刊行できた。この二冊の本は、旧暦というものを足場にしながら、表現や、テーマや、書き方など、掘り下げることのできた本の仕事となった。
『えほん七十二候』は、詩集です。季節の詩集。こよみうたです。七十二候をこども向けに解説するのではなくて、うたうように季節がめぐるのを、詩で感じてほしい、感じてもらえたら、とそういう本です。これは、チャレンジでした。
『島の風は、季節の名前。』は、これまで旧暦の本を書くときに、「ここらへんまでかな」と筆を止めていたところ、旧暦についてここから先は、さすがにちょっとマニアックかも、というところまで踏み込んで書きました。と言っても、民俗学の研究者ではないので、あくまで個人的に感じたことと、自分が得てきた旧暦にまつわる知識との交点・接点から入って、押し広げていくような、そうした踏み込み方として(沖縄への文化・行事と、日本の伝統行事や旧暦のならわしとの、両方が一つに重なるようなところを模索するものとして)。だとしても、やっぱり踏み込んで書きました。
この二冊は、そうしたチャレンジをしている本なので、そんなことを感じてもらえたら、うれしい。うれしい。うれしいな。

もう一つ、三月は、丸山豊記念現代詩賞という詩の賞を受賞したことも、思い出深いことだった。ああ、現代詩の畑で、自分に賞が降ってくるなんて、選考した人たちはなんという勇気の持ち主たちなのだろう、と受賞の知らせを聞きながら、思ったりした(いや、まさかこの詩集に、と予想もしていなかったので)。これは、うれしかった。ありがたいなあ、とも感じた。だからといって、何が変わるわけでもないけれど、この詩集がそうした賞を受けたことは、書いた者として感じるところがあった。受賞のことば、として書いたとおりのように思う。たしか、ここのほむぺのどこかに貼っておいたはず。

四月には、韓国へ父母や妹、そしてぼくの家族で旅行をした。とくに父はほとんど旅を(仕事の出張や帰省以外では)しないので、娘と父とがいっしょに旅のできる機会として、一つ、思い出の旅行になった。秋には、父の故郷へ娘を連れて行き、伯父、父母、僕と娘で旅ができたこともあり、春と秋の二つの旅は、今年の個人的に大きなイベントだった。

家族つながりといえば、祖父の二十五周忌が秋にあり、沖縄に親戚がたくさん集まったこと、その団体さんで大型バスを貸切で(レンタルで)中部を観光したこと、それが、観光パックみたいなノリだったので、ただの親戚の集まりなのにこのパワーすごいな(大型バスの免許を叔父が持っていて運転してた)と思えたのが、これも今年のできごとだったなあそういえば、と感嘆というか、なかなか皆が集まれることが少なく、顔を合わせられること、おたがいがありありと肉体をともなって時と場所をともにできることに喜びを覚えた。へんな言い方だけども、親戚と一口に言ってしまえる割に、思い出がいっぱい詰まった人間関係というのも、いいものです。

まだまだいろいろあった気がするので、書きたくなったらまたここに。七月にン年ぶりにポエケットに参加したのも楽しかったなあ、とか。

あとは、忘年筆の話を、少し。忘年筆というか、今年筆というか。三本の万年筆をお迎えした。夏にM300。秋にM400。今月、二本目のM800。すべてペリカンのスーベレーンというインク吸入式のもの。けっきょく、自分が使っている万年筆は、学生時代のペン、昔もらったペン、去年入手した古いモンブランを除くと、すべてペリカンのスーベレーンになっていて、仕事道具としては、これに尽きる気がしている。インク吸入式(カートリッジじゃなくて)で、価格が良心的で、故障したときの対応がいい。この三つの条件をクリアしているもので考えると、ほぼペリカンのこれらになる。国産にも吸入式が少しあるのだけども、透明軸が得意ではなくて、そうなるとほぼペリカン一択になってしまう。
沖縄に住んでいると、必然的に仕事で飛行機に乗って出張に行くことが多くなり、万年筆を持ち歩く(気圧の変化がある機内持ち込みも含めて)ことが多いので、それを考えて新調したのがM300とM400だった。この二本は、小さい。持ち歩きに便利で、移動中でも書きやすい。その割に、気圧の変化にもよく持ち堪えて、インク漏れしない。それまでは、大事な大事な、たくさん書いて自分の書き癖にすっかり馴染んで書きやすくなったペン(万年筆って、使えば使うほど、書きやすくなるのです)を、持ち歩かなければならなくって、これを紛失したら洒落にならない、という緊張感を、旅のたびに味わってきたのだけれど、旅用の万年筆を揃えたら、そういう心配も解消された。そのために旅用を別にした、といっても過言ではなく。そろそろ使って三年になるM800は、ほぼ毎日なにかしら書いているので、書き味がなめらかになった。それを先日の上京の際に、買ったお店でまたメンテナンスしてもらえたので(こういうところもペリカンの安心なところ。ペリカンを扱っているお店は信頼できるところが多い)、ややピストンが固くなっていたのだけれどそれが直って、すこぶる快調になってくれた。ありがたや。さっと10分たらずで直してくださった。無料。分解して清掃して不調を直して、無料。それも込みでのお買い物。もう本当に、ペリカンがいいのは、そうした信頼できるお店が薦めているから、というのが一番の理由かもしれないぐらい。実際に書き味がいい。

そして二本目のM800は、やっぱり、ペン先は使えば使うほど、すりへるから。すりへってしまう宿命があって、気に入っているペンほど、複数本持っている必要がある。僕は、中字、太字、極太字を使って書くので、できれば、この三種類それぞれを複数本持っておきたいぐらい。でも、M800以外のペンでも中字、太字、極太字を(旅用のも含めれば)持っているから、ひとまず、手に入れるのが難しくなっている極太字の3Bというペン先のものを今月買い足した。
3Bのペン先は、製造中止になって数年が経つ。状態のいい(未使用かつ検品と保管がしっかりされている)ものに出会えたら、そこで買わないと次に手に入るかはわからない。3Bの太さのものを使うのは初めてで、いま持っている中では、イタリックの太字より太いかもしれないぐらい、大きく字が書ける。これが、アイデアメモにいい。いっぱいは書けないから、端的に言葉を綴ることになる。端的に言葉を綴るとき、緊密にロジカルに書くことが多い、僕の場合。だらだらと、ああでもないこうでもない、とは書かない(そういうのは中字や太字でする)。とつとつと言葉をバケツリレーのように、思考の散歩としてつないでゆくように書く。そういうときに極太字のペンがいい。

実際に旅に持っていくと、M300もM400も、とっても優秀で、きびきびと働いてくれる。電車に乗っていて、ひざにノートを開いても書ける(M800だと、さすがにペンがでかくて書きづらい)。旅先の旅館で、その小さな座卓のようなところで、かりかりと仕事の文章を書いてみたら、とても気持ちよく書けた(西表島でのことだ。ああ、今年はン年ぶりくらいに、八重山に旅行に行けた!これもとてもとても楽しい旅行だった。この旅のさなかで書けた詩があって、これも来年早々に発表できるはず)。M300は先週の東京への出張に持って行ったのだけれど、シャツのポケットに挿していても、ぜんぜんジャマにならず、必要なときにサッと取り出せて、書いたら書いたでスラスラとよくインクを吐き出してくれて、書き心地のいいミニペン(というのも、これも扱っているお店のかたが、わざわざ使う人一人一人の書き癖に合わせてペン先を研いで調整してくれているから、というのが大きい。というか、それがもう全て)。

こう書いていると、キリがないけれど、〆にひとつ。二本目のM800、先日お迎えしたものは、実はちょっと苦手な透明軸だった。でもせっかく出会えた貴重な3B。深い濃い青の透明軸で、パッと見はあまり気にならない見た目をしている。半透明ぐらい。なので許容範囲とした。選んだ理由は、それだけではない。これがいい、と思える積極的な理由があった。20年以上前に作られたものが、新品同様に保管されていて、初期の90年代初めのM800は、いまよりもペン先が柔らかいといわれている。筆圧を強めずに楽に書けるその柔らかいペン先の3Bを使いたかった。それもある。そして何よりは、尻軸に羅針盤を模したマークが刻まれていて、軸のブルーとは海、大洋をイメージしており、その万年筆の名前がブルーオーシャンといったから。その青い万年筆が、海をイメージして作られたものである、ということが、僕が選んだ何よりの理由になった。沖縄のことを、書く、とする。そのとき、書こうとするたび、現実を直視することになり、へこむ。ドン底の気分になる。あまりにも沖縄が置かれている状況が、ひどいから。そんなとき、この海をイメージした万年筆が、ともに航海してくれる相棒になってくれるのではないか、と期待した。そういう期待から手が伸びた。

沖縄を書くといっても、何が書けるか知れない。このあいだ現代詩手帖に書いたようなものは、もう書くまい、と思っている。説明できてしまうことでは、自分が書きたいと思える何も、もう書けない気がしている。もやもやとした漠然とした何かだけは、頭の中の、遠い遠い先にあり、それをなんとか書きたくて、そこへ向かっていくときに、この青いペンを携えて行けば、これが旅の杖のようになってくれれば、と思っている。多分に気分的なものだけれども、気分って大事だ。

三本もペンを新調し、三本ともにそれぞれに手に入れた理由はあったけれども、ずいぶんペンにのめり込んでいる。それぐらい、いま書くことの中へ、静かに、息を長く長くして、沈み込んでいる。万年筆を使う人がどんどん減っていて、手に入るいまのうちに仕事道具を(将来ペン先がすりへることも見越して)必要なぶんは持っておきたい、という冬眠前の動物のような気持ちもある。ただきっと、いちばんは、頼りが欲しいのだろう。書くことは孤独だから。その孤独に一人で耐えるとき、かたわらに、つねにいてくれるやつが欲しいのだ。悲しいかな、書けば書くほどすりへる万年筆に、一生物はない。どんなに愛用しても、必ず別れの日がくる。愛着が湧いて、いっぱい使いたくなるペンほど、そのぶん別れが早まる。ある意味で、残酷な道具だ。それでいて、使う者を魅了する。その魅力にとりつかれている。使うことのよろこびと、使うとともに近づく別れとが、一本のペンに同居していること。それが万年筆の魅力なのだと思う。これを使って、書く。何を書くのか。何を? と問い、問うこととして書く。書いたときに、何、が生まれるとはかぎらない。これじゃない、になることのほうがはるかに多い。それでも、何を? と問い、問うこととして書く。そう約束したしるしが、いまここにある何本かの万年筆だ、ということだろう。

ふは。ひさしぶりに日々の記をすごい長く書いたな。きっと今年の思い出はまだある。でも今日ここでオープンにするのは、こんくらいにしておこう。ああ、あれがあった、と思いついたら、また書こう。

では、では、みなさま どうぞよいお年を。

2016.12.15木

つれづれ

3か月ぶりの日々の記になるのが、光陰矢の如し過ぎて、自分でもびっくりです。ふっはー。こんなに長く書かなかったなんて、あっという間過ぎた今年の秋冬でした。です。いまも、いまだに光の速度で日々が、ああっ。

いろんなことがあり申した。もう何から書けばいいやら何やら・・・。で、端折ります。

近況

今月前半は上京して、八日に朝日カルチャー千葉で旧暦の話を、十日に午前中はちょこっと横浜の保育園で童謡ミニコンサートをなさっていた吉川真澄さん&大須賀かおりさんのところへおじゃましに。午後は、渋谷のキのうえさんで、三回シリーズのワークショップ「言葉を探す旅」の最終回を。翌十一日は名古屋へ行って(新幹線で午前中に移動して。ビュワーンと)中日文化センターで旧暦の話をしてきました。

今回の旅は、こどもと接する機会が多くて、保育園でじかにこんにちはしたり、千葉の美術館では子らの作品をじっくり眺めたり、という機会に恵まれました。なんだろう。何か、どこか、つながっている感じが旅の間じゅうしていました。不思議。

よもやま

このところ、日々の書き物がハード過ぎて、ここまで手が回っておりませんでした。
凄まじく未知の峰に向かって、いまがどこか、どこまで登れたのか、ぐるぐるあちこちをうろうろ迷っているだけなのかもわからず、ただひたすら足を動かし、岩にしがみつき、時折(けっこう)岩清水にのどをうるおしてほっと一息ついたり、しています。
まぁ、いずれどこかに辿り着けるだろう。がんばる。

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9月

2016.9.24土

初めてのおきなわ本

初めてのおきなわ本が今月末にできあがる。

島に移り住んで五年半になるけれど、その間に少し少し感じていったことの積み重なりであり、幼少の頃から正月や夏休みなどに訪れてきた母の故郷の記憶と、以来聞き、ふれ、読み、知ってきた沖縄の姿や歴史への自分なりの思いでもあり、そんなあれこれが詰まった本になった、と思う。

常夏の島だとばかり思っていたとき、秋の訪れを知らせる「新北風(みーにし)」っていう風があるんだよ、と叔父から教わったときは驚いた。まだ島に住む前のこと。詩はもう書いていた。三十代のころに聞いた。

梅雨は小満芒種(すーまんぼーすー)、真夏の風は真南風(まはえ、まーふぇ、とも)、冬の寒さは、冬至寒さ(とぅんじーびーさ)・鬼餅寒さ(むーちーびーさ)。不思議な島言葉の響きは、やがて意味を伴い、胸に落ちてきた。

また旧暦か、と思われるかもしれないけれども、自分にとっては新しい試み。それを感じてもらえたら、もう本当に、幸せなこと。

沖縄でいま起きていることについて、何かを言おうとすると、たくさんの沈黙が口の中に下りてきてしまう。口が重くなる。思いはそれ以上にたまらなく重い。島のことを、明るい側から、素敵なところを、まばゆい喜びを語ることで、そうした重みをも含み込んだかどうかはわからない。執筆のさなか、常にかたわらにあり、そのかたわらにあるものを、どっかと本の真ん中に据えることはせず、季節のこと、暮らしのならいのこと、自然のこと、自分が島の生活の中で感じたこと、などを書いた。

本の中には何点もの沖縄の風景写真が登場する。それは、この沖縄生活をともにしてきた當麻が撮ったもの。カバー写真は、2003年の久高島。

至らない点多々だろうけれど、この本を読んでくれた人が、ハッピーな気持ちになってくれたら、何よりもうれしい、うれしい、こと。

帯文を、歌人の俵万智さんが寄せてくださった。當麻や娘が、たくさんお世話になってきた方。島での暮らしに、明るい彩りをくれた人(とくに、きいやま商店関係で!)。そんな人から言葉を贈られたことも、この本を出せる幸せの、大切な またひとつ。

そのほか、たくさんの方々が、本づくりに力を貸してくださった。おかげでやっとできあがる。大事な、大事な、本だ。自分にとって。

にふぇーでーびる(ありがとう)。

『島の風は、季節の名前。旧暦と暮らす沖縄』
(文・白井明大 写真・當麻妙 講談社刊)

2016.9.4日

「ミミコの独立」に思う

沖縄の雑誌『越境広場』2号に、山之口貘の詩「ミミコの独立」に関する小論を寄せた。この詩は、幼い娘のことを書いたもの。県立図書館で貘さんの推敲原稿の束をあれこれ読んでいるときに、短いこの詩をどれほど、どのように推敲したかを目の当たりにして、詩の印象ががらっと変わった。なぜ変わったのか、どう変わったのか、この詩一篇だけを読めば一目瞭然であるけれども、推敲の過程を辿ることで、詩作をどのように貘さんが行っているか、つぶさに見ることができた。沖縄に住んでいて、その喜びのひとつは、県立図書館まで出かければ、丁寧な手書きの貘さんの文字で綴られた詩原稿が、好きなだけ読めること。

近況

九月になり、おきなわ本が手を離れ(今月末にできあがる予定なので、さすがに原稿はこの時期には定まっていないと、なので)、また新しい流れが、風が、起ころうとしているのを感じる。その予感を静かに抱えつつ、まずは週末の朗読舞台、そして言葉を探す旅というワークショップをしてくる予定。

島に五年半住んでいて、自分の感覚がずいぶんと変わった気がする。こんなふうに四十代の前半を過ごすことになるとは思わなかった。物を書くときも、それが詩作であれ、本の執筆であれ、物を書くときも、その感覚の違いに影響されているのだろうと思う。でも、どんなふうに自分が変わったか、ある程度は把握できるつもりでも、書いたものがどう影響を受けているかを説明できるようには思えない。きっと、違っているのだろうな、ぐらいにしか。

おきなわ本を経てなのか、『生きようと生きるほうへ』を経てなのか、文庫と絵本という去年の暮れから今年の前半にかけての仕事のあとだから、ということなのか、五年という月日そのものの余波か、何か変わろうとしている、自分の中で。小さな声が起きている、気がしている。その声に時々耳をすましながら、森の中を、少し少し歩み進んでいる、ような気がしている。

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8月

2016.8.30火

サルビアのこと

いま発売中の雑誌「イラストノート」No.39は、サルビア特集。

古き良きものを、いまの暮らしに沿うように、あらためて新たに届けていこう、とそんなものづくりに関わる活動をしているのが、サルビアです。手仕事の職人さんと一緒に、セキユリヲさんのデザインと融合させながら、さまざまな物を、そしてまた楽しいことを、送り届けつづけています。

白井の30代は、昼も夜もないくらい広告の仕事で働き詰めだったのですが、そんなとき、最初は代官山にあって、その次は青山に移ったセキさんたちのデザイン事務所eaに遊びに行って、そのうちにサルビアの活動を一緒にするようになったのが、暴風にさらされる心の、ほっとするいっときの平穏な時間でした。サルビアのことを思い浮かべるとき、そこに関わっていた人たちの顔を思い浮かべるとき、それがなんだか、自分が通っていた学校のことを思い出すのに似ている気がしてきました、最近。

今回の雑誌は、だからどのページを開いても、懐かしく、愛おしくなってしまいます。白井もちょこっとコメントを寄せています。

やわらかいデザイン。気持ちのいい場。大事な人と人とのつながり。ここには、自分にとって、これがなかったらおれの30代は何だったんだろう、とすっぽり大きな何かが抜け落ちて、穴があいてしまいそうなほど、大事なピースが折り重なっているのだな、とあらためて感じました。

よかったら手にとってごらんください。暑い日の木陰のようであり、肌寒い日のひだまりのようであり、花の種を運ぶ風のようであり、のどをうるおす水のようであり、

サルビアの心がいっぱいつまっている雑誌です。

2016.8.9火

奇遇というか奇・偶というか

六月の日々の記を読み返してみたら、六月はのうのうと過ごしていたんだな、と判明した。そうか。『忘れられた巨人』読んでたのって、六月だったか。いまは『カラマーゾフの兄弟』。やっていることが似てる。七月はハードだった。色々しめきりに滑り込んで、台風のように去っていった。そしてぽっかりと、〆切一過の八月に。奇数月は忙しく、偶数月は穏やか。
いまは新しいことをやるよりも、いま動いているものを一つ一つ丁寧にやること。来年版でちょうど十年になる歌こころカレンダーを、いつも通りに、変に力まないで作ること。そういうことを、ここ最近意識してる。

近況

どうでもいい話をまたひとつ。今月の初めに、一本ペンを新調しました。小さな、ちびた鉛筆みたいな万年筆。書き味も、4Bとかの鉛筆に似ている。くきくき書く感じ。ペリカンのいちばん小さなペン。字幅はBBという、極太に。この極太は、もう生産中止になってしまったのだけれど(わざわざ、ちびた鉛筆みたいなミニペンで、極太の字を書く人は少ないのだろうから。多分、手帳用のペンだし。使ってないけど、手帳とか)、まだ少しだけ在庫があったらしく、ぎりぎりセーフで入手できた。とてもかわいい。

同じくペリカンのブルーブラックというインクを入れて使っている。これもまたいい。水に濡れても、字が消えない(らしい)。たまに野外で書いていて、小雨がぽつんと降って、字がにじんだりしたことがあったから、にじみにくいインクは重宝する。たぶん、このミニペンは旅に持ち歩くことが多くなるだろうし、外で書いても比較的大丈夫なインクが望ましい。

なににせよ、書きなじませていくのが、楽しみだ。

2016.8.6土

初おきなわ本

つい数日前まで、九月末に刊行予定の本の著者校正をしていた。初めての、おきなわ本。タイトルは『島の風は、季節の名前。旧暦と暮らす沖縄』(文・白井、写真・當麻妙、講談社)

いちど三月末までに原稿を書いて、それをほぼ書き直していまの形にしたのが五月下旬だったろうか。島には不思議な風の名前があると知って、それがどんなふうに季節と結びついているかを、一つ一つ、少しずつ知っていき、ひとまとまりの季節の流れになっているんじゃないかと思い、書いた。

近況

ゲラを送って、ふう。おいしいフィッシュ&チップスの店へ家族で出かけた。オリオンの小瓶とともにいただく。うまい。とても幸せな味だった。

シン・ゴジラを観た。あまり心楽しい映画ではなかった。おもろまちの映画館は、沖縄戦時の激戦地だったので、軍隊が登場する映画は採点がどうにも辛くなる。

夏休みなので、家にいる子とよく遊んでいる。風船バレー(椅子を並べてネット代わりにし、互いに相手の陣内に風船を打ち合う遊び)にハマっていた。風船がしぼんで、ブームが終焉を迎えた。あとはプールとか。

『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる。ゆっくり。ヴォネガットが確かこう言っていた。「人生に必要なことは全て『カラマーゾフの兄弟』に書いてある。でもそれだけじゃ足りないんだ」そのことを考えたくて、読んでいる。

父をまたいで

依頼を受けたときに、ちょうど詩を書いていた。黒井千次さんのエッセイとともに掲載される趣向で、お題があると聞いていたけれど、「どんなお題だったとしても、これが合うだろうな」となぜか最初に予感がしていた。
送られてきた黒井さんの原稿を読み、やはりこの詩で、と思えた。お題は「手放す」。黒井さんは老後に免許を手放すことを書いてらした。僕の詩は、お知らせにあるので読んでみてください。
お題を聞く前から書いていたので、なんだか、やぎさんゆうびんみたいだな、と一人思った。読まずに食べたわけではないけれど。くろやぎさんとしろやぎさん。黒井さんと白井。一人遊びのように、ちょっと面白がっていた。

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7月

2016.7.7木

受賞の言葉

丸山豊賞受賞に際して寄せたコメントを、ホームページに再掲します。沖縄では、「沖縄タイムス」に7月1日に掲載されました。このような思いでいます、と伝えさせてください。

 沖縄で暮らすようになって、五年が経ちました。この島は母の故郷で、ぼくが幼少期から何度も訪れてきたふるさとです。いつかは沖縄に住んでみたいねと、妻と時折話していましたが、でもまさか移り住むきっかけが突然降って湧くとは思いもよりませんでした。ぼくたち家族はそれまで暮らしていた東京を離れ、原発事故から逃れて、沖縄へ移り住むことになりました。
 それまでぼくは、日々のできごとを題材として詩を書いてきました。ですが、この島に来て二年ほどの間は、目の前のできごとを詩に書くことができませんでした。震災後、幾度か東北を訪れて目の当たりにした現実が心を占め、それに拮抗できるだけの自分の言葉を見つけるのが困難でした。
 瓦屋根が崩れても直せないままブルーシートがかかった家、一日数十分までと決めた上でないと子らが遊べない公園、急な雨のなかズブ濡れで自転車通学する学生たち。いままで当たり前に享受していた日常を失ってしまった土地になおも人が暮らしていることに直面し、たとえば「窓を開ける」という一言すら、住む場所や状況などによって全く異なる意味を持つのだと思い知らされたとき、どんな詩を書いていいのかわからなくなりました。
 そうしたなかで、ぼくに詩を書くことを取り戻させてくれたのは、南国の道ばたに咲く花の姿であり、新しい環境に向き合い、飛び込んでいく子の姿であり、そして東北を旅して出会った、当地で生きる人の姿でした。命がひたむきに生きるさまが自分のなかに少し少し積み重なって、誰もが懸命に生きていることを心底感じ、だったら自分もまた懸命に生きようと思えるようになりました。それを、詩を書く足場にできました。
 今回の賞をいただけたのは、とてもうれしいことですが、ぼくにではなく、この詩集に授けられた賞なのだと受けとめています。
 島にはアメリカ軍の基地があり、島人を苦しめる現実があります。ぼくの従妹が通う大学にアメリカ軍のヘリが墜落した事故は、まだ記憶に新しいものです。また一方で、生命力あふれる自然と、突き抜けるように青くまぶしい空、どこまでも澄んで広がる海、ゆるやかに流れる時間、暑い暑い熱風……、とそうした鮮烈な島の光景に毎日囲まれていると、自分までもがたくましくなり、生気が高まってくるようです。島の命と基地とはつねに対峙し、いまの沖縄の明暗を浮き彫りにします。島に住んで初めて、身をもって沖縄が抱える辛い状況を知りました。
 ですが目の前の現実を受けとめようとしても、自分の立っている場所は、そうそう確かなものではありません。
 例えば「被災地じゃないのになぜ東京から逃げたのか」と問われたことがあります。被災者ではないのに自主的に逃げた者。そう名指されました。そのとき、このような問いに直面しているのは自分だけではないのだろうと想像しました。沖縄には東京から避難してきた人が多くいますし、福岡にも少なくないと聞きます。この問いに含まれる批判的な響きや、その問いに追いやられる側の逃げ場のなさは、今回の詩集で書きたかったものです。
 また、自分の通う大学に軍のヘリが落ちた体験を持つ従妹が「わたしたちが何をどんなに言っても、何も変わらない」とつぶやくのを聞いたことがあります。ですが、生まれたときから基地がある島で暮らしてきた従妹の気持ちを、ずっと東京で暮らしてきたぼくが、わかるとはたやすく言えません。
 ひとたび多数派からはずれてしまったとき、なぜお前は人と違うのか、なぜもっと困っている人がいるのに自分だけ助かろうとするのか、なぜお前さえ我慢すれば皆が助かるのに和を乱して異を唱えるのかなどと、少数派にまわってしまった人はさまざまな同調圧力におしつぶされそうになります。本来なら、お互いに震災や原発事故に弱っているはずなのに、あるいは、ともに平和を祈り願っているはずなのに、人と人とが分断され、互いに手を取り合えなくなる状況が生み出されています。それは悲しいことです。では、詩人にできることは何でしょう。
 詩は、人の心につながっている言葉だと思っています。書き手の心から発して生まれ、読者に読まれたとき、その人の心に響きうる言葉です。皆と違う一人の道を歩んだとしても、誰もが尊い自由な存在である、とぼくは告げたいと願っています。この詩集はそう言いたくて、それを伝えたくて、できたものかもしれません。
 手渡したい言葉があります。
 どこかにいる、誰かに、この詩集が出会えるきっかけを与えてくださり、どうもありがとうございます。丸山豊記念現代詩賞の受賞に心から感謝いたします。

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6月

2016.6.26日

たまには、時事問題でも書いてみます。詩の話はする気になれず、いま書いている本の話も書けず、となると、世の中で起きていることに目を向けてみようか、と思います。

物価が上がればどうなるの?

ニュースや新聞などで見かけるたびに不思議に感じる話として、「物価が上がると景気がよくなる」という言説があります。「デフレ脱却」をスローガンにしています。
よくよく聞くと、「物価が上がれば、それに応じて賃金も上がって、景気がよくなる」という経済学の仮説だそうです。なるほど

でも、物価が上がっても、賃金が上がるわけではありません。単に、モノが高くなって、買えなくなるだけです。

物価が高く、賃金が低い状態を、スタグフレーション(冷汗)というそうです。庶民にとっては、最悪です。

いまの日本は、デフレ状態ではなく、スタグフレーション状態ではないでしょうか。なのに、さらに、「物価を上げてデフレ脱却」をめざすなら、一時的に企業にはいいかもしれませんが、実体経済の改善にはつながりません。さらに物価が上がって、さらに暮らしがきつくなり、日本の経済を土台で支える、庶民の生活を空洞化させてしまうと思います。

むしろ、「賃金を上げて、スタグフレーション脱却」に向かうべき、と思います。

EUとイギリス

先日、イギリスで国民投票を行い、EU離脱が多数を占めました。

まだ離脱が決まったわけではなく、成り行きを見守りつつ。

EUの前身に、ECがありましたが、イギリスはECに最初は加盟していませんでした。この国は、ヨーロッパの中で、我が道を行く路線を選ぶことがある国なんだな、という印象があります。
なので、今回のEU離脱という投票結果は、さほど意外ではありませんでした。これが、ドイツやフランスの離脱だったら、驚きでした。

いろいろ言われていますが、移民受け入れの是非というのは表面上の話で、根っこにあるのは、格差社会の限界だろうと思います。

富める者があまりにも総取りして、貧しい者が立ち行かなくなる。そんな格差社会で叫ばれた悲鳴のように感じました。

複雑なのは、EUが格差を助長するわけではないことです。だから、EUを離脱しても、格差はなくなりません。ですが、EUを作り上げた志向と、グローバル化・新自由主義と呼ばれる、お金持ち総取りシステムは、現状では手を取り合っています。

グローバル化というとすぐ、「国際競争力」が出てきますが、これってようは、「人件費の削減」のことです。それが行き過ぎて、庶民が息も絶え絶えなのではないでしょうか、いまのイギリスで。

直接的には、別問題のはずのEU維持か離脱か、という国民投票で噴出したのは、格差の下敷きになっている人たちの悲鳴と怒りと憎しみではないか。そんなふうに見ています。

EUは、仮にいったん離脱しても、ECの時のように、後から、「入れて」と頼めば再加盟できるだろうとも思います。そして、いくら極右が移民排斥を主張しても、ドイツやフランスは、EUから離れるべきではないでしょうし、そうはならないのではないか、と思います。EUがあることで、ヨーロッパが戦場になることを防いでいるからです。自分の国が戦場になれば、景気なんて吹き飛びます。そのことを、たった71年前の惨劇を、ヨーロッパは忘れていないだろうと思います。

但し、イギリスの例を見て、行き過ぎた格差を緩和・是正する国内対策を、急ぐタイミングだろうとも思います。アメリカでサンダースやトランプが出ていること、日本で極右政党が政権与党となっていることと、無関係ではありません。

なぜ人は

なぜ人は、たくさんの血が流されたあとにやっと手に入れた、人権も、平和主義も、独裁体制との決別(つまりは自由)さえも、みすみす手放そうとするのだろう。このところ、それを考えています。

つまるところ、どんな政治的な姿勢にも理由がある、と思います。人権や平和をキレイゴトだと憎むまなざしは、EUをキレイゴトだと憎むまなざしと、似ています。憎悪の理由は違っても、憎しみに染まった目の色は同じです。ナウシカの指をかんだ、テトのようなものだと思います。心が傷つきやすく、もろい人ほど、何かをキレイゴトだと指差して、憎まないと、もう心がもたないのかもしれません。

いま生きているのは、そんな世界なのだ、と僕は見つめねばなりません。

EUなら、また加盟し直すことはできるかもしれない。ですが、人権も自由も国民主権も平和主義も手放して、緊急時を宣言しさえすれば政府が全権を握れる独裁制を認めたら、いつかもういちど自由で平和な世界に立ち返れる日は、ずいぶん先になってしまうかもしれません。

もうすでに、心がもたないギリギリの状況の人が、この島国にたくさんいるのだ、とその事実を受け止めることからだ、と心に言い聞かせています。

2016.6.24金

往来

五月末に〆切りが多数集中してしまって、その反動で六月はここまで、ふぬけのように過ごしてしまっており、アップする気にもなれなんだ。また更新が一月半ほどあいてしまった。

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』が面白かった。去年出ていたのは知っていたけれど、まとまった時間に落ち着いて読みたいからと、ここまで持ち越していた。読めてよかった。

今年も前半が終わってしまう。夏至も迎えた。沖縄は梅雨明けして、猛暑です。

ふぬけというか、このところ数年間ずっと、心の半分は現実の世界にあるけども、もう半分は、古代や詩の時空や空想のさなかにいて、それが続いている。いつやむかと思っているけれど、やまない。ずっと、向こうへ行っている。行ったきりにならないのは、ちゃんとここに肉体があって、家族がいて、仕事があるからで、それがここと自分とをつないでくれる。

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5月

2016.5.7土

投げ壜通信

胸に去来するものがいくつもある。

けれどそのどれも、いままだ言葉にしたくない。

いま抱えている感情も、そのきっかけとなった日々のささやかな出来事も、秘めておきたい。

それでもなお、この無名小説の日々の記にこうしてなにがしかを書き留めておきたいとも思う。

打ち明けられない、たまらない思いは、いま向かっている原稿に、すべて注ぎ込んでしまう。そして書き上げたあとは、いまこうして抱えている気持ちは、雲散霧消してしまうだろう。いつものように。

ここに書けるものはここに書けるし、書けないものは書けない。その幅が前者は小さくなり、後者は大きくなる。年々その傾向が強まっている。

それでもここにこうして書けることは、自分にとって、幸せなことだ。

SNSのようでなくても、誰かにいいねをしてもらわなくても、こうしてすでにここで、言葉が届いているし、届くと感じられること。とても不思議なことだけれど、ネットの向こうの息遣いは、時々感じられる。たったの画面越しでさえ。

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4月

2016.4.30木

ソウル

四月の半ばに、両親と妹、うちの家族で連れ立って、韓国はソウルへ行ってきた。家族旅行は軽く二十年ぶりくらいだろうか。大阪みたいだな、と感じたのは、どこの店に入ってもごはんがおいしくて、外れがない感じとか。一度、大きめの本屋に入って、あれこれ見て回り、ハングルばかりだったのでどんな本かもわからなかったけれど、地下でBICの青のボールペンを一本買って帰った。

だいたい本を一冊書くと、腰、肩を痛めてしまうパターンが今年の初めにもあって、一度鍼を打ってもらってよくなったのだけれど、またぶり返した。なので今週は、また鍼治療に通い、腕があがるところまで持ち直した。ゴッドハンドの先生、ありがたや。

七回忌

さくまの七回忌。二十日だった。山田が花を、ご実家に贈る手配をしてくれた。時が経つのが、早いとは感じない。長いとも思わない。それだけの時間が流れた。ただ、あいつが亡くなった年齢を思うと、たまにやるせなくなる。それが奴の一生だったのだ、と受け止めることと、止まった年齢の後も自分が歳を重ねてその差が開いていくことに思いを抱くことは、別の話だ。四月は、苦い。

流れ

なんだか変な時間の流れの中にいる。そういう気がしている。今月は混沌としていた、のかもしれない。たくさんのことがあった。いまもある。細道を歩いている。どこかには辿り着くだろう、そのどこかがどこなのか、行ったこともないのに知っているような気がしている。

2016.4.13水

おもろ

おもろは、島の歌のこと。思い、という意味とも。島の思いを東京まで届けることは、時にむつかしく、時にひょいっと距離を越えてしっかりと。朝日新聞から依頼を受けたとき、どんな詩ができあがるのかわからなかった。そして書いてみると、こんな詩になった。担当の記者さんに送ると、そのまますんなり掲載となった。その、ありがたさ(と、言うニュアンスが伝わるだろうか)。

この島で感じていることを、どうしたら、ここにいない人に手渡せるだろう?と思う。詩は、何かを伝えるための、台車ではない、ということは分かりつつも、詩なら、距離を越えて、ここにいないという事を超えて、手渡せるのではないか、と思う。願う、といったほうがいいかもしれない。

おもろ。思い。思う。願う。届け、と願う。手渡せますように。そう祈る。

2016.4.11月

茨木のり子の家

いつでも手をのばせばとれるところにある本棚の一角に、『茨木のり子の家』がある。たまに開いて、写真を眺め、詩を読む。詩人の肖像を見たり、その筆跡、使っていた鉛筆がちびたのや、椅子、机、テーブルランプ、窓ガラス。そのようなものの一つ一つを、ページをぱらぱらめくっていきながら、見る。

まっとうな詩人。詩人というのは、こんな人であってほしい、と思える詩人。

ぱらぱらしてるだけで、幸せな気持ちになってくる。この幸せはきっと、生き方が地に足がついている人の姿を見たときの、小気味好さだと思う。

2016.4.6水

うりずん

今年はなかなか晴れなくて、風も強くって、三月いっぱいぐらいまで、しぶとく寒かった。でも今月に入ってようやくあったかくなってくれた。

うたの春休みがもうすぐ終わるので、今夜はブエノチキンでローストチキンを買ってきて、打ち上げと称して家族で食べた。ガーリックたっぷりの、おいしい島のチキン。ごちそさまいた。

昨日は人間ドックに数年ぶりに行きまして、人生初の鼻から胃カメラを経験しました。つ、つら。バリウムもやだけど、これもやだ、とグリグリカメラの管を体のなかに入れられながら思った。これはもう、、なんというか、エスエフだ、SF。腕に筋肉注射というのを打たれて、こればっかりは、その後だる〜ん、とだるくなるので、苦手です。

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3月

2016.3.20日

いつになく島が寒くって、なかなか半袖、短パン、素足にサンダルというわけに行かない。でも、今朝の新聞によると、八重山は海開きをしたのだとか。この時期の風物詩だなあ。家ではあいかわらずほとんどビールを飲まず、もっぱら白湯、というのがかれこれ一年近くになりそう。飽きるかなあ、と思ったらぜんぜん飽きなかった。ビールも美味しいけど、白湯も美味しい。最近は万年筆を、太字ばかりでなく、細字も便利に使うようになってきた。気分を変えて、とか。ちまちまと小さい字で敷き詰めるように書くのも、面白いなぁと思って書いている。

2016.3.6日

一段落

先月末に東京と仙台で詩のイベントをしてきました。仙台でのイベント後、いわきのomotoさんちに遊びに行って、ちょっとほっとしたりして、八日ほどの旅でした。

昨夏に詩集を上梓して以後、ぬけがらのようにエネルギーがからっぽ状態だったのですが、東京でのイベントで詩集の編集を担当してくださった亀岡大助さんとひざつきあわせて話ができて、そのイベントが終わったとき、ふっと心身が軽くなっている自分に気がつきました。ああ、こんなふうに軽やかに感じられて、自分はようやく、詩のエネルギーをまた貯められてきているんだな、とうれしさを覚えました。

まだゆっくりと肩ならしをしながら、少しずつ回復していく途上のような状態ですけれども(年末に一日一話というボリュームのある文庫本を出したことも、かなりの体力とエネルギーを費やしたので)、また書こうという気力が湧いてきました。さて、まずは、沖縄そばを食べに行こうかな。

イベントにお越しくださった皆様、どうもありがとうございました。

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2月

2016.2.23火

展覧会をふり返って

展覧会のあとの部屋の片付けがようやくできて、落ち着いてふり返る余裕ができてきました。次の旅が近づいてきて、出来事がまた積み重なる前の、いま、書いておこうと思います。

作品を展示させていただいた角さん、嘉瑞工房の高岡さん、樹ノ音工房の大寿さん、朱音さん、大與の大西さん、美篶堂の皆々様、そして文庫づくりをご一緒した川原さんと辻ちゃん、詩集のカバー写真を撮ってくれた當麻に、感謝です。

角さんは、素敵な漆のお椀や、今回とくべつにお願いしたペントレイなど展示していただけて、そのうえ山口からご夫婦で週末に在廊してくださって、奥さまのわっか屋・麻衣子さんも展示会場で旧暦のことなどお客さんに話してわかりやすく伝えてくださって、もううれしいやら幸せやら。。でした。角さんのペントレイ、槐で作られたものを、いま仕事机の上に置いて、さっそく愛用しています。歳月を経ると、鉄よりも硬くなるという、漆を十二回塗り重ねたお椀、素晴らしいの一語。。。

高岡さんには今回も活版のポストカードを印刷していただき、実際の印刷に使用した組版まで展示させていただきました。おかげで、活版を初めて知る、という方々にも、実物を感じていただくことができました。また、沖縄県立芸大の皆にどうぞ見せてください、とおっしゃり、貴重な組版を寄贈してくださいました。展覧会を終え、帰沖し、詩と製本の実技演習の時間に、芸術学専攻の一年生たちに、嘉瑞工房の組版の本物を見せることができました。どうもありがとうございました!

樹ノ音さんの陶器も毎年のことながら、やわらかみがあって温かくて、ご家族で遊びにいらしてくれた、今回の詩集担当の編集者Kさんが、子供たち用に、とマグカップを三つ選んでくださってそれがもう本当にうれしくてしぜんと顔がほころんでしまって、幸せなことでした。Kさんと一緒に第三詩集『歌』を作ったのが、もう五年余り前のことです。そのときに生まれた赤ちゃんが、すうごく愛らしい女の子になっていて、妹、弟も一緒にすくすくのびやかに育っていました。幸。

大與さんの和ろうそくは、土曜日のキャンドルナイトで灯しました。炎がはぜるようすについて、川原さんがトークのなかでふれられて、ああそうか、時代小説で出てくる「ろうそくがはぜる」という描写ってこういうことを言うんだなぁ、とおっしゃっていたのが印象的でした。やっぱり、大西さんの作られる和ろうそくは、ぼくにとってとくべつです。五年前からともにキャンドルナイトポエトリーをはじめて、気持ちのつながりを感じます。

美篶堂さんは今回、新しいご本『美篶堂とつくる美しいて製本』がまだ刷りたてのところを持ってきてくださいました。いつも愛用している手製本のノートは、使い心地がとても素晴らしくて、毎日あれこれ綴っています。いまは布装のデザイン帖B6という小ぶりなノートがお気に入りです。そして、歌こころカレンダーのために、ギフト用こよみ箱を作っていただき、それも今回展示しました。本当にぴったりとこよみに寄り添う箱で、ためつすがめつ眺めてしまいます。その箱づくりを担当した小泉さんも長野からいらしてくださいました。

入り口はいって右の壁面には、『日めくり七十二候』で実際に使用した、川原さんの挿し絵の原画をすべて展示しました。極細のインクペンでコピー用紙に書いている、という原画を間近にして、あらためて本づくりの不思議を思いました。一枚一枚の絵をながめながら、昨年こつこつと三百六十六日ぶんの話を書いていたことも思い出しながら、素敵なイラストで並走してくださったことに感じておりました。

辻ちゃんはナント!、白井と童話の本づくりユニット「しろくろこぐま座」を結成していて「カワウソのお茶」という童話集を4年前につくったのですが、その「しろくろこぐま」という名前が出てきたきっかけのお話(『季刊サルビア』の陶芸特集で、白井が巻頭に書かせていただいた童話)「しろくろこぐまとスプーン」をデザインして、手製本して、特別な童話の本を展示してくださいました。うるうる。。感涙。

そして、當麻は、『生きようと生きるほうへ』のカバーを飾る、沖縄・高江の風景写真を含め、久高島の風景写真も含め、入り口はいって左の壁面に、おきなわの光景を届けてくれました。ロクロクという真四角のフォーマットで切り取られた沖縄の風景は、素の、いつも目にしている沖縄の光で、そこだけぽっかりと、島にいるような気持ちになります。

表の暖簾に貼った書は、一日ずつ、ギャラリーを開けるときに書いて、貼り変えていました。なぜかぼくが朗読会や展覧会をすると、雪が降る確率が異様に高いのですが、今回も例のごとく、月曜日が大雪になったりして、それも風物詩というか、おなじみの景色というか、さすがに慣れました。雨はあんまり降らないんだけど、いきなり、雪!いやはや。。

詩人の方々にも見に来ていただけて、それは光栄なことでした。尊敬する詩人さんがいらしてくださり、ありがたく、恐縮しつつ、友人の詩人が来てくれたら一献、二献とできればうれしく、ただ会えるだけでもまたうれしく、友人たちが忙しい合間を縫って足を運んでくれたことも、また、いつもは島にいる身としては、しみるようなうれしさでした。

今回初めて展覧会場に父がやって来てくれて、ちょうどそのときは在廊できなかったのですが、それもうれしいことでした。父にかぎらず、わが家にとっての肉親が見にきてくれることは、幸せ冥利に尽きます。

また来年、それまでに精進して、ひとつひとつの仕事に精を出します。

2016.2.21日

片付け

ひさしぶりに部屋の片付けをしてました。といっても、一月の展覧会が終わった後の、展示に使った物、搬送用の段ボール、同じく県立芸大で教えるのに使った書籍、資料、それを入れていた段ボール、類が部屋の一角を大幅に占領していたのを元あった場所に戻し、いらないものは捨て、とっておくものはそれなりの所にしまい、としただけのことでしたが。部屋がさっぱりとしました。ふぅ。こうでなくっちゃ、と思えるほど、いつもきれいというわけでは到底ありませぬ。

もう今週

夕方は散歩をかねて、近所のスーパー(に書店やコーヒースタンドが入っている所)まで行き、コーヒー飲み飲み、イベントで何話せばいいんやら、とつらつら考えてました。ノートを広げて、万年筆をくるりくるりと書き綴りながら。

今回は、詩集の担当編集者の亀岡さんと二人で話すので、いつもいつもの一人でぽつんとえんえん喋るのとは違います。ほっとします。二人で、この詩集のことを話します。どんなふうに書いたか。どんなふうに一冊に編んで、作っていったか。楽しみです。もう今週の、金曜の夜に。

2016.2.11木

三往復

今年になって(というか、去年の年末の帰省からカウントして)、沖縄と東京を三往復しました。一か月ちょっとの間に、三往復。今月末にはまたイベントで上京するので、一月二月で四往復……。これはけっこうハイペースです。

ただ、今年はこれくらいあちこち飛び回って、それでも書くべきものはきっちり書いて、というふうにやっていきたいと思っています。と、言うだけは簡単なのですが、書く環境を保つことと、フットワークを軽くすること。両方大事にしたいな、と思っています。

野鳥愛

鳥ラブ、がおさまりません。最近すっかり、鳥ラブです。野鳥を見かけると、声がきこえると、ぱたりと足をとめて、つい眺めてしまいます。二月の初めに上京したときは、朝ちょっとゆっくりめだったのですが、日比谷公園まで野鳥さんぽしに行って、セキレイやらヒヨドリやらスズメやらを心ゆくまで眺めてきました。

沖縄にもカワセミが結構いるらしいので、沖縄でカワセミみたいな〜なんて、それも今年の目標です。

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1月

2016.1.25月 日曜から月曜にかけての夜、那覇にもみぞれが降ったそうな。。おお寒。

これで駄目なら

すうごく面白い本に出会ったので、ここで紹介をば。
ヴォネガットによる卒業式講演集『これで駄目なら』翻訳は円城塔さんで、これがまた読みやすくって、歯切れがよくって。こんな話なら、いくらだって聞いていたくなるほど、ヴォネガットならではのブラックユーモアが炸裂しながら、若い人への愛にあふれるメッセージを直球&フォークボールでずばんずばん投げ込んでくる。こいつぁもう、読むしかない。ああ、紹介になってない、ならない、落ち着いていられない。このワクワク感。でもせめて本の題名の意味だけでも。

If this isn't nice, what is?(これで駄目なら、どうしろって?)

いまこうしていること(些細なように思えるかもしれないけど、いまこの瞬間とってもハッピーなこと─たとえば白湯を飲みながら窓の外を眺めていたら、おおごまだらがひらひら飛んでいった、というようなこと)が起きたら、こう言おう、とヴォネガットは学生たちに誘いかける。「いまこうしていることが幸せじゃないなら、いったい何が幸せだっていうんだい?」と。些細な幸せを見逃さないで、言葉にすること。自分に語りかけること。つねにある日々の幸せを拾いあげて、それを確かめること、大事に抱えること、いまこの瞬間それはあるんだと気づくこと。それが大事だとヴォネガットは言う。ああ、もうそれだけのことを教わるためだけに、この本を開く意味があると思う。些細な日々の幸せ、水がおいしい、日射しが暖かい、そして座り心地のいいイスに、ほっとひと息腰掛けている時間。それって、幸せじゃないか、て。

清々しいほどの読書の喜び、というか、ヴォネガットの肉声にふれているような喜びが、この本には満ちている。すんごいひねりの効いた幸福論。

2016.1.21木 今日で「無名小説」サイト開設14周年

無事

おかげさまで今年も無事に、神楽坂での展覧会「白井明大の詩と旧暦のある暮らし」を開催してきました。どうもありがとうございました!

13日(水)の午後の実技演習を済ませ、一路那覇空港へ。なぜか便が一時間遅れで、到着も一時間遅れ、その晩の貴重な睡眠時間も一時間ずれ込んで削られてしまい、涙目・・。翌日、14日(木)にフラスコさんへ搬入に向かいました。

会期中は、毎日在廊してました。いらしてくださったかた、久しぶりにお会いできた方々、うれしうございました。

初日15日(金)の夜は、皆で深夜まで神楽坂で飲み、最後はタクシーでユーゴちん家へ。新たに作った、というゲストハウス的な部屋で、ぐっすり。翌日16日(土)は、最近買ったと噂のかわいいミニクーパー(旧)に乗せてもらい、フラスコさんまで送ってもらいました。ありがとう!あの車、めっちゃかわいい!

土曜日の夜のギャラリートークは、いい感じで楽しくお話ができ、その夜は文庫の打ち上げで、おいしい中華をごちそうになりました。おいしうございましたm(_ _)m

で、月曜は午前中に色々と用事があったので、日曜の夜は実家に帰らず、お茶の水の宿を予約しておいたのですが、これが大正解。深夜に大雪となり、月曜の朝の東京は大変なことになっていました。でも、お茶の水から神楽坂までは、すぐの距離。一つ予定を火曜に回しましたが(竹尾に紙を買いに行く予定があったのですが、これを火曜日に)、それ以外は予定通り、近場だったので、すいすい進みました。ほ。。(冬のイベントや催しをすると、白井は降雪に遭うことが多いです。なんでだろ。初めての朗読会も、雪が積もったんだったけなあ。二度目の朗読会のときも。笑)

そして一昨日、19日(火)に搬出を終え、貞さんとサシ飲み。これが楽しくて、ついつい長居してしまい、気づけば神楽坂で十一時半!もはや終電はない。途中からタクシーで、実家まで帰りました。で、午前二時半就寝→午前五時四十五分起床、という鬼のような仮眠状態で、朝イチの便で羽田から那覇へ。昼前に着き、那覇空港からまた県立芸大に直行しました。で、午後ぶっ通しで実技演習。夜はぱたん、と深く眠りました。ぐうぐう。

明日まで

そしていよいよ、県立芸大での詩の実技演習も最終日。いや〜、怒濤の三週間だった。夢に見るくらい、学生さんたち皆に詩を書いてもらって、それを簡単に製本する、という演習は、濃かった。。(遠い目)

楽しかったなぁ。明日で作品が完成する予定。どんなふうになるのかな。皆、いい詩、書いてます。

2016.1.4月

無理

もう平日……。正月三が日のあとに、すぐさま平常運転をしろというのも土台無理な話ではないんだろか。いやだいやだと言っていても、日付は月曜日になってしまっている……。いやだいやだ……。

明日から

そして驚くべきことに、明日から3週間、通い仕事に行くことに……。徒歩圏だし、午後からだし、と気楽に引き受けたのはいいけれど、仕事に通うって、いったいいつぶりだろう……。

行くまえはうだうだしていつつも、行ったら行ったできっと楽しいと思うんだ。と自分を言い聞かせています。が、家人がかけてるラジオから、なぜか懐かしの「およげ!たいやきくん」が流れてくる始末……。気分はすっかり後ろ向き……。

お話は有り難くも光栄なお仕事で、沖縄の県立芸大で、芸術学専攻の一年生に、実技演習ということで、詩を、教える、という(なぜか、詩を書いたあとに、それを本にしよう、という部分までくっついておりまする)。ようは、非常勤講師というやつです。うわー、これは初めての経験だー。

いつもの詩のワークショップのようなつもりでいますが、全12回も講義があるという、時間たっぷりなコースです。その県芸というのが、わが家と、ぼくの憩いのファミマ(で朝から100円コーヒーをカウンターで飲みながらジャンプを熟読するというね)の間にあるわけで、非常に近いわけです。ファミマに行くついでに寄れちゃう距離。これならいーやー、と思った、一年前の、自分……orz

がんばってきます……orz

2016.1.3日

新年

明けましておめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

餅つき

この年末年始は、久しぶりに家族で帰省していました。暮れに父の実家へ行き、子は初めての餅つき。餅好きなので、かなりの嬉しイベントとなったようです。

年を越して、元日の朝を迎えてみると、ふっと空気が変わっていることに気づくような感覚が訪れることがあります。今回もそうでした。暮れと新年の、からりと変わった空気感。ああ、正月ってこういうものだったな、と思いました。じぶんたちで搗いた餅のお雑煮は、とてもおいしい味でした。


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